昨夜が由美香ママのお通夜で、本日が告別式。おそらくたくさんの人が別れを惜しんだはずだ。今日は一日家で仕事を進めながら、何故か押し潰されそうな喪失感を抱き続けた。不思議だ。一昨日の日記に書いたように、僕はママと一度しかお話したことがない。いや、そもそも由美香ちゃん本人とだって、それほど親しい関係ではなかったのだ。だから自分なりに考えたその意味を、少しだけ書き残しておく──。そもそも林由美香というAV女優の存在を知ったのはずいぶん遅い。彼女は1989年の6月芳友舎(現h.m.p)の「ミス・クリスティーヌ」というレーベルからデビューしたわけだが、僕は同社に専属ディレクターとして在籍していた。しかし約3ヵ月前の3月末に辞め、同年の夏から半年ほどアメリカに渡りふらふらと歩き廻っていた。だから彼女がAVアイドルとしての活躍した頃を、リアルタイムではまったく知らない。冬になって日本に帰り、監督としての契約が残っていたためもう一度芳友舎に戻ることも考えたのだが、時代はバブルの波に呑まれそれどころじゃなかった。先輩であり同社のメイン監督であった豊田薫も村西とおる率いるダイヤモンド映像に移籍したりして、会社はもとより業界全体の在り方がすっかり様変わりしていたのだ。
すべてはアダルトビデオが売れに売れ、何処も儲かって仕方なかったからだ。僕はやはりKUKIからダイヤモンド映像に移籍した伊勢鱗太朗監督のスチール・ディレクション(主にパッケージやポスターの制作)をやり、バブルがはじけその勢いがやっと収まった頃、細々と文章を書く仕事を始めた。しかしそれだけではとても食べていけないので、友人の編集者からデザインの仕事を貰った。中でも特に世話になったのが、以前はこの日記にもよく登場した「マツヘン」こと少年出版社(現・コアマガジン)の松沢雅彦である。彼が編集長を務めた『ビデオメイトDX』には、当時「完全攻略」というタイトルの巻頭企画があった。毎回カメラマンを変え、ロケーションに時間をかけた、多い時には12ページにも渡るロング・インタビューである。インタビュアーは故・永沢光雄だ。つまり、名著
『AV女優』の原型になったシリーズと言っていいだろう。そして僕が林由美香という存在をハッキリと意識したのがこの時だった。
永沢と林由美香は午前中から缶ビールを開け、ホロ酔いで隅田川浅草行き水上バスに乗る。そこを捉えた一枚がこれだ。林由美香という女の子のあの頃を、ここまで見事に表現したヴィジュアルは無いと思う。カメラマンは三上泰史。三上は
11月11日の日記に書いた杉本健一、そしてもうひとり江崎哲朗と共に、僕がある時期とても濃い時間を共有した相棒だった。数々の場所へロケに出かけ、帰りの車内、後部座席でモデルとヘアメイクの女の子が静かに寝息を立てる中、運転する三上と助手席の僕は様々な話をした。それが今も昨日のことのように想い出される。これは、そんな三上のベストショットのひとつに違いない。この一枚を扉の写真に選んだ松沢の編集者としてのセンスも、今さらながら秀逸だと思う。もちろん永沢光雄の文章も、である。このようにひとりのモデルを頂点にして、編集者・カメラマン・ヘアメイク・スタイリスト、そしてデザイナーが一体になってものを作っていった──林由美香はそんなヌードグラビア誌の時代を象徴する存在でもあったのだ。
予告編の中でも使われているが、
『監督失格』の中で由美香ママがこう語る場面がある。「人間は二度死ぬって言うじゃないか。本当に死んだ時と忘れられた時と──」。そのようにかつてあの時代があったことを忘れず、この先も書き残していきたい。
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