6時起床。昨日に引き続き梅雨の晴れ間。7時過ぎよりjogに出る。数日前DMM.comにレンタル・リクエストを出しておいた鈴木慶一さんのファースト・アルバム
『火の玉ボーイ』が届いたので、やでうでしやとMP3に変換し、iPod Shuffleに入れて走る。このアルバム、CDでは持っていない。つまりアナログ盤以来ということになるから、聴くのは何年ぶりになるのだろう。リリースは1976年だから、僕は高校2年生だった。これは慶一さんのソロ・アルバムではあるのだが、発売当初のジャケットには「鈴木慶一とムーンライダース」と表記されていた。慶一さん本人が当時「WORKSHOP MU!!」を主宰していたアート・ディレクター、奥村靫正さんに直接デザインを依頼したのだが、上がって来たら何故か「ムーンライダース」というバンド名が付いていて、「うーん、ソロのつもりだったんだけどなあ、まあ、いーか」と、このタイトルになった──というのはファンの間では有名な話。
僕に限らず当時のロックファンというのは、アルバムの隅々まで、どんな細かいクレジットも見逃さなかった。1枚のアナログ・レコードはやたら高かったし、今のように「ながら」で聴くなんてことはなかったから、曲が流れている間はジャケットをジッと見つめていたものだ。だから曲によっては徳武弘文さんを初めとするラスト・ショーがバックを務めていることもあり、「鈴木慶一とムーンライダース」という表記に「おかしいな?」と気づかなかったというのも妙な話なのだが、何故かそれを気にしたという記憶がない。というのは前身のはつみちぱいが解散、弟の博文さん等と新しくムーンライダースというバンドが結成され、既に色んな局面でその活躍が知られていたからだと思う。特に僕はFM東京でやっていた「小室等の音楽夜話」という番組を熱心に聴いていた。ほぼ毎回カセットに録音もしていたと思う。エアチェックというヤツである。
これもまたLPレコードというものがやたら高価で、おいそれと買えなかったからだ。当時ムーンライダースは小室さんのバックバンドをやっていた関係で、よく出ていた。スタジオ・ライヴで『火の玉ボーイ』の中の数曲が演奏されたこともあった。「午後の貴婦人(レディ)」というちょっと色っぽい曲があって、小室さんが「コレさー、俺がずいぶん昔に観たフランスのB級ポルノ映画を思い出したよ」と言ったのまで何故かはっきりと覚えている。ところで、ここまでグループ名を語尾の濁らない「ムーンライダース」と表記して来たが、正式には濁る「ムーンライダーズ」(英語表記はMOONRIDERS)である。これもまた、奥村さんとのデザインのやりとりの中で生まれた混乱かもしれない。1977年にバンドとしての初アルバム『ムーンライダーズ』が出てから「ズ」に改められたというが、「音楽夜話」の頃はどうだったのだろう? そこで小室さんが音楽を担当した当時のテレビドラマ、山田太一・脚本、田宮二郎・主演の
『高原へいらっしゃい』のオープニングがYouTubeに上がっていたことを思い出し見直してみた。すると、〈音楽 小室等〉に続き、〈演奏 ムーンライダース〉と出た。
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