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今朝になってリヴォン・ヘルムの訃報が伝えられ、ファンなら誰しもそうだろうが、深い悲しみの中で過ごす一日となった。けれど唯一救いがあるとすれば、一昨日の日記の最後にも書いたように、長らく不仲が伝えられていたロビー・ロバートソンが、まだリヴォンの命がある間に彼を見舞ったということだろう。ロビーのFacebookに載せられたメッセージによると、やはり彼もリヴォンの病状を知らないでいたらしい。「彼は喉頭ガンをやっつけていたから、もうその病気の心配はないと思い込んでいた」とある。また、迎えてくれた娘のエイミー・ヘルムは彼女が生まれた時から知っているし、その母親のリビー・タイタス、そして現在彼女の夫になっているドナルド・フェイゲンが共にいてくれたから、この悲しみの中を歩むことが出来たとも書いている。つまり、ロビーは離れていてもずっとリヴォンの身体については気遣っていたし、リビーやまだ幼かったエイミー、そしてザ・バンド仲間達と過ごしたウッドストックでの日々を、決して忘れてはいなかったのだ。
リヴォンとロビーが何故、かくも長い間仲違いをすることになったのか? それを端的に言ってしまえば、ロビーが勝手にザ・バンドを終わらせることを決めてしまったとか、マネージメント・チームにそそのかされて作詞・作曲印税をを含め、ほとんどの収入を独り占めしてしまったとか、マーティン・スコセッシと二人で作り上げた映画『ラスト・ワルツ』では、リチャード・マニュエルとガース・ハドソンを明らかにないがしろにしたとか、数え上げていけば理由は切りがないほど、ある。けれどそれら伝えられていることのほとんどが、実は昨日も一部引用したリヴォンの自伝『ザ・バンド〜軌跡』の中で彼の側から一方的に語られてることだけだし、たとえそれを抜きにして考えたとしても、すべてをそう単純に捉えることは出来ない。少なくとも僕はそう思う。 そもそも1978年の時点でザ・バンドの次なる方向性を、メンバー全員を含め、誰かが判っていたとは到底思えない。しかもロビーがすべての曲を作詞・作曲したアルバム『南十字星〈Northern Lights - Southern Cross〉』前後から、メンバーの誰もがロビーに対し非協力的だったことはやはり否めず、しかもバンドはヘロインを初めとするドラッグの問題も深刻に抱え込んでいた。『ラスト・ワルツ』に関して言えばガースはともかくとして、例えば「アウト・オブ・ブルー〈Out Of The Blue〉」という曲は珍しくロビー・ロバートソンが唄っているわけだが、それはあらかじめヴォーカルを担当するはずだったリチャードが行方不明となり、スタジオに現れなかったからだ。サウンドトラックの重要な部分を占めるはずだった、とても美しいバラードである。それをバンドの中で最もスウィートでセンチメンタルなヴォーカリスト、リチャードに唄わせたいと思い曲を書いたロビーの落胆は、果たしてどれほどのものだっただろうか。 だいいちザ・バンドという世界最高、唯一無比のロックバンドの16年間(ロニー・ホーキンスのツアーバンドとして過ごした日々も含め)を、たった2時間弱の映画に収めるなんてのは土台無理な話だったし、しかもあの作品は彼らの活動を通し、ブルーズからカントリー&ウエスタン、そしてゴスペルに至るまですべてのアメリカン・ミュージックを遡って検証していくという試みだった。それはリヴォンを始めとするロビー以外のメンバーも充分承知していたはずだ。だからこそコンサートのライヴ映像だけでなく、「ザ・ウェイト〈The Weight〉」はステイプルズを迎えスタジオでソウルフルに仕上げられたのだし、エミルー・ハリスをゲストに「イヴァンジェリン〈Evangeline〉」が収録された──だからこそリヴォンは、「そんな中に何だってニール・ダイヤモンドみたいなヤツが偉そうに入ってるんだ!」と文句を言っている──のだ。 けれどそれもこれも、今となってみればあまりに些細なことに過ぎない、という気がする。問題は、あの時70年代が終わろうとしていた──ということだ。それはひとつのディケイドの終末という意味だけではなく、ジェイムス・ディーンからバディ・ホリー、エディ・コクラン、エルヴィス・プレスリーが登場して以来のアメリカ、その音楽、その文化がいよいよ終わりを迎えようとしていたということだった。そして時を同じくして、ザ・バンドのメンバーは若者として生きた時代の終わりに直面した。世の中には、そこをぞうさもなくいとも簡単に通り過ぎることが出来る人もいれば、そうでない者もいる。作家の村上春樹さんが小説『羊をめぐる冒険』の中で「危険なカーブ」と呼んだ地点だ。特にロックンロールの世界には、その場所を曲がり切れず命を落とした者がどれだけいたことか。ジム・モリスン、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリクス、そしてリチャード・マニュエル──。 また人によっては残りの人生すべてを、その時代を問い直し続けることに費やす場合も決して少なくはない。つまりあの頃何故、自分は脱輪することも横転することも、壁に激突することすら恐れずに猛スピードで駆け抜けることが出来たのだろうか? と。1980年代以降、多くのミュージシャン、批評家、作家が問い直したのはそれだった。つまりは60年代、カウンター・カルチャー、ロックンロールとは果たして何だったのかということだ。だからこそリヴォン・ヘルムは晩年まで自らのルーツであるブルーズとカントリー・ミュージックを追求したのだし、ロビー・ロバートソンは自身の中に流れるネイティヴ・アメリカンの血を、アンビエントを取り込んだ音楽性の中に見出していったのだ。1986年、リチャード・マニュエルがフロリダ州ウインター・パークの安モーテルで首を吊って死に、その追悼式が彼の故郷オンタリオで行われた際、ロビー・ロバートソンは姿を見せなかった。そして1994年、ザ・バンドが〈ロックンロール・ホール・オブ・フェイム〉に入った時、今度はリヴォン・ヘルムが出席を拒否した。時間が必要だったのだ。リヴォンにも、ロビーにも。 リチャードの死後、90年代になってジム・ウィーダーやランディ・シャランテを加え本格的に再結成する前にも、リヴォン、ガース、リックの3人は旧友のケイト・ブラザーズを加え何度かツアーをしている。そして1987年にスペインへ出向いた時、何故かリヴォンは参加しなかったのだが、彼はその理由を『ザ・バンド〜軌跡』の中で、「ぼくたちはガースがいさえすれば、それがザ・バンドだと考えていた」と語っている。この先いつかロビー・ロバートソンとガース・ハドソンが、同じステージに立つことはあるのだろうか? そしてもしもその時が来たら、僕達はそこに、リチャードとリック、そしてリヴォンの幻影を見るに違いない。そう、ザ・バンドは永遠に、ロックンロールの中心に有り続ける。その時彼らはもう一度、僕らにこう問いかけるだろう。「やあ、まだいたのかい?」と。
by tohramiki
| 2012-04-20 10:01
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