午後3時から神田神保町で取材があった。終わったのは夕方6時半。お茶の水駅から中央線に乗り込み、iPhoneでメールをチェックしてから何気なくTwitterを開くと、〈インドネシア・スマトラ島沖で巨大地震〉というツイートががあり、続報が次々とリツイートされていった。かつて地震というのはエネルギーだから、一度大きな揺れが起こると発散されるので、しばらくは平穏だという考え方があった。けれどどうやらそれは、もう古い考え方になってしまったようだ。地質学的に地球が新しい状態に移行しつつあるとか、そういうことは判らないけれど、3.11以降、個人的には何が起こっても不思議ではない、起こりえるのだと考えるようにはなった。
僕が子供の頃にはいわゆるカスタトロフ、つまり地球規模の破滅や人類滅亡というテーマの小説や映画がたくさんあった。古くは
3月18日の日記にも書いた、スタンリー・クレイマー監督、グレゴリー・ペック主演のSF映画『渚にて』(1959年)とか、日本でもフランキー堺主演による東宝の『世界大戦争』(1961年)という特撮映画があった。これらは僕が生まれた頃だけれど、以降も決してなりをひそめることなく、1973年には五島勉のベストセラー『ノストラダムスの大予言』──250万部というから、今の言葉だとダブルミリオンだ──があったし、同じ年には小松左京の『日本沈没』。そしてこの動きは1980年、やはり小松左京原作の角川映画『復活の日』まで続く。

元々1954年から始まった東宝の『ゴジラ』シリーズも、同年3月にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作されたと言われている。ゴジラとは、人間の作り出した核兵器、放射能の影響で突然変異した恐竜という設定だった。つまり当時の人達は、核に象徴される人類の進化発展というものに、得体の知れない恐怖を抱いていた。その集団無意識的な不安が創作を生み出していたのだと思う。しかし僕だけかもしれないが、80年代を過ぎて、あくまで漠然とだけれど、「そういうことは自分の生きている間には起こらないんだろうな」と考えるようになった。今思うと何の根拠も無い。バブル期、「土地の値段というものは上がり続けるものだ」と思い込んでいたのと同じだ。だからこそ、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件には強いショックを受けた。そして2001年の9.11。
家に帰ってテレビを点けると、インドネシアの地震は当初心配されたほどの被害ではなかったようで、トップニュースは北朝鮮で金正恩が「党第1書記」というポストに就き、死んだ金正日は「永遠の総書記」になったというものだった。ミサイルの発射予告も近づいている。北朝鮮が核を持ったり軍事的に暴発する可能性は皆無、何故ならそんな国家的な予算はないから、というのが常識的な見方らしい。けれど1990年代半ば、オウムだって金銭的に困窮していたはずだ。でもサリンは出来てしまった。恐怖や不安とは、人間の持つ根源的な直感だ。だから無理矢理忘るべきじゃないと思うけれど、しかしそれは風評被害等を生み出す可能性もあるから、同時にリアルな目線も必要になる。その兼ね合いが、とても難しい。
※写真は昨日、大宅壮一文庫から京王線高井戸駅に向かう途中。古い、雰囲気のある団地だなと思って何気なく撮ったのだけれど、iPhotoに取り込んでみたら背後に不気味な雲が写っていた。地震の前には奇妙な雲が現れるというけれど、何か現実的な根拠はあるんだろうか。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。
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