先週の土曜日で『カーネーション』が終わりました。でも不思議なことに、朝ドラが終わった時の、いつもの「あー、終わっちゃったんだー」「寂しいなー」という気分はない。非の打ち所のない結末だったこともあり、すべてを観尽くしたというか、これ以上望むものはもう何も無いというか。それだけ完成度の高い連続ドラマだったのだと思う。ところで劇中ヒロインの糸ちゃんは、歳を重ねるごとに「糸子先生」「小原先生」と呼ばれるようになっていった。発音的にいうと「センセイ」というよりは「センセ」である。コレ、実は個人的にとても懐かしかった。ウチの父方の祖父、つまり親父の父親は近所の人から「東良センセ」と呼ばれていた。ジイサンは書道の師範であった。
場所は大阪市城東区今福というところ。最寄り駅は京橋。梅田から環状線で3つ目。『カーネーション』の舞台・岸和田とはずいぶん離れているし大阪の中心部ではあるのだが、道の細い商店街があって文化住宅と呼ばれる長屋風の二階家屋が続くという、イメージ的にはとても似通った下町であった──少なくとも昭和50年代までは。ジイサンは戦前東京芝の増上寺で仏門に入るべく学んでいたが、修行が辛くて逃げ出し、故郷大阪へ舞い戻っただけでなく、タカラジェンヌだったという美人のバアサンと結婚した。しかもバアサンは宝塚を辞めた後芸者をしていて(だから今福の家には三味線が数竿あった)、旦那がいたのを略奪したとか、まあ若い頃はずいぶん破天荒な人だったようだ。ウーン、こう書いていくと朝ドラになりそうな人生だ(笑)。
そんな人だったから当然の如く戦後は食い詰め、しかし元坊主なので書の心得があったため、それにすがって自宅にて書道教室を始めた。当然最初は下町の小さな塾だったのだが、長くやっていると弟子が独立して弟子を取り、またその弟子がと教え子はネズミ算式に膨らみ、最終的には数千人の弟子を抱える家元になった。晩年は人に教えるよりも自身の作品を追求し、賞なども取っていたようだ。雅号を「東良龍雪」といった。けれどもちろん近所にはそんなエラソーな名前で呼ぶ人はひとりもいず、基本的に終生「センセ」であった。ざっくばらんな土地柄だから、ジイサンの普段着はステテコにカンカン帽という植木等スタイルである。子供の頃そんな祖父に手を引かれて歩くと、必ずこう声をかけられた。「センセ、よろしいな。お孫さんとお散歩でっか」と。
さて時は流れ、驚くなかれ僕のような下流のモノカキでも、時々「先生」と呼ばれる時がある。当然恥ずかしい、勘弁してくださいと思う。しかし、恥ずかしいからといって、「先生はやめてください!」などと口が裂けても言ってはイケナイ。何故なら、相手は別にこちらを尊敬して言ってくださっているわけではないからだ。時々場末の繁華街を歩いていると、ピンクキャバレーの呼び込みが安サラリーマンのオッサンに「社長!」と呼びかけてますよね。「ヨッ、そこの社長。イイ娘いますよ」と。アレと同じです。あの場合の「社長」とは、「将来社長になる可能性が1%も無い・・・でもない」という意味だ。けれど世の中には社長になる可能性が100%無い人もいる。そう、我々のような「自由業」と呼ばれる人種であります。その場合、呼び込み氏はこう声をかける。「先生、そこの先生、イイ娘いますよ」。
つまり「先生」とは、「将来立派な作家になる可能性が無い・・・とも言えない人」「100%有り得ない。ムリムリ、絶対無理!・・・とは言い切りにくい人」を表す言葉であります。ちなみに「社長」とも「先生」とも呼びにくい場合はどうすると思いますか? たとえばすごく若い人、大学生やらフリーターを呼び込む場合。その時は「先輩!」と言います。フム、先生と言われるほどのバカでなし──ではまた明日。
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