昨夜、仕事が終わってから、11時台のニュースでサッカー「タジキスタンVS日本」の映像を観た。あのピッチはすごかったな。僕は中学時代サッカー部にいたのだけれど、まるでその頃、約40年前の日本のようだった。川崎市の南武線武蔵中原駅近くに、今は等々力競技場という立派なスタジアムがあって、川崎フロンターレのホームグラウンドになっているのかな? でも当時は等々力サッカー場と言えば、少し先の河川敷だった。芝生なんてハナっからなく、土のグラウンドである。僕らは軟弱チームだったけど意外に強くて、市で最高、決勝戦まで行ったはずだ。でも最後まで芝のピッチなんて立てなかった。県大会でも同様だったのではないだろうか。
ただ中学一年の時先輩達の練習試合で、鎌倉にある栄光学園に行ったことがあった。カトリック系の有名な中高一貫校である。当時からサッカーの強豪校と言われていた。考えてみれば川崎北部の山の中にある無名の中学サッカー部が、何故そんな名門校に出向いたのだろう? まったく記憶がない。ただ、サッカー部の顧問も務めておられるという、外国人の校長先生がわざわざ出迎えてくださったのをよく覚えている。もうけっこうなお歳に見えたが、ジャージの上にお洒落なスタジアム・ジャンパーなんかを着て、やたらカッコ良かった。で、その校長さんに試合会場を案内されてぶったまげた。山の斜面を利用した棚田風の校庭には、眩しいほどに美しい芝生のサッカー・グラウンドが、2面あった。いや、3面だったかもしれない。

こんな学校のサッカー部に勝てるわけねーじゃん、と思った。一学年上の先輩チームは僕らの世代よりも強く、一度は市で優勝し、県大会に出たこともあったが、それでもボロボロに負けた。たぶん、昨日の日本とタジキスタン並みの実力差だったと思う。今Wikipediaで栄光学園を調べてみると、「1947年、ドイツ人神父グスタフ・フォス師を校長に、旧制の栄光中学校(5年制)として中学1年生72名でスタートし」とある。そうか、「日本サッカーの父」と呼ばれ、川淵キャプテンや釜本さんを育てたデットマール・クラマー氏もドイツの人だ。そういう意味ではまさに川淵さんが理想とした、Jリーグ構想のお手本みたいな学校であったわけだ。
真冬だった。色々記憶があやしいのに何故それをはっきり覚えているかというと、札幌冬季オリンピックの開催中だったからだ。試合が終わり学生服に着替えていると、誰かが「笠谷が金メダル獲ったらしいゾ」と言った。僕らは「金野は? 青地は?」と訊いた。笠谷幸生が優勝するのはほぼ間違いないだろうと言われていた。結果は日本の金銀銅独占、いわゆる日の丸飛行隊である。ところでWikipediaの栄光学園のページには同校の卒業生がズラリと列記されていて、芥川賞作家の保坂和志さんと映画監督の長崎俊一さんが並んでいる。お二人は同級生で、一緒に8ミリ映画も作っていたそうだが、学年でいうと僕より二つ上。ということは、あの時中学3年で、同じ校内にいた可能性もあるわけだ。
※写真は2010年7月撮影。葛飾柴又近くの江戸川河川敷。小学生がリトルリーグの試合に使うグラウンドも、今は芝生である。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。
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