夜、ある方の演奏を聴きに行く。収入の目途が付かず、時間的余裕もない今、飲み会のたぐいはすべてお断りし、ミュージシャンの友人からのライヴのお誘いも全部、「申し訳ない」とスルーさせて貰っているのだが、今夜だけはどうしても観ておきたかった。阿佐ヶ谷にある〈Next Sunday〉というライヴハウス。iPhoneというのはこういう時とても便利だ。メールで案内を貰うと、住所のところだけ文字色が変わっている。そこをタップすると、Google Mapが自動的に立ち上がってピンをドロップしてくれる。必要があれば自分の現在位置まで示してくれる。後はそれに従って歩いていくだけ。
今日も阿佐ヶ谷の駅を出たところでそうした。初めて行くライヴハウスだと思いこんでいたからだ。それが違った。記憶というのは不思議だ。何故まったく忘れていたのだろう、南口からロータリーを渡り、「そうか、〈阿佐ヶ谷ロフトA〉は脇の商店街のアーケードを通るのだけど、今日のお店は中杉通り沿いにあるんだな」なんて思いつつ、数分歩いたところで突然気づいた。どうして少しも思い出すことがなかったのか? 此処には一度来たことがある。やはり、あの時の俺は相当混乱していたのだ。
2006年の6月だから、もう5年も前になるのか。丹波篠山に住む昔の音楽仲間、亮介から突然奇妙なメールが来た。短いもので、「Kの病気のことは、俺は大丈夫やと信じてるから」とあった。病気? 病気って何だ? Kはやはり学生時代からの友人。親友といっていい。亮介は別のバンドだったが、Kと僕は同じグループを組んでいた。そう言えばここ半年以上は会ってない。けれどひと月ほど前携帯に着信履歴があった。忙しかったこともあり、「またかけてくるだろう」と、返信もしなかった。すると今度は神戸に住むギター弾きのJTから電話があった。
「Kが肺ガンで入院したって聞いたけど、大丈夫なのか?」と言った。彼は10代の頃に母親をガンで亡くしていることもあり、心配で気が気でなく、電話をかけてきたのだと言った。そこでやっと思い出した。1週間ほど前、Kの妻、Cから家電の方に留守電が入っていたのだ。「ちょっと伝えておくことがあって電話したんだけど、また改めてかけますね」と言っていた。いつも通りの声だったから気にも止めていなかった。しかし、あれが入院するという報告だったのだ。どうしよう、Cの携帯も、Kの自宅の電話番号も知らない。本人は入院しているのだから、彼の携帯は繋がらないだろう。今になってみれば、家電にはCの履歴が入っていたはずなのだが、それにも気づかないほどに混乱していたのだと思う。
やはり昔の仲間で、Kと共にバンドをやっていた
阪本正義という男がいて、彼は今でも定期的に都内のライヴハウスで唄っている。確かその夜も偶然ライヴがあると、彼のブログで知っていた。阪本はKと家も近所だし、入院のことは当然聞いているだろう。もちろん携帯番号は知っているから、すぐにかけてみれば良いのだけれど、何故か妙なことばかり考えた。ちょうど今頃はリハーサル中だろうとか、ライヴハウスというのは地下にある所が多いから、繋がりにくいだろう、とか。とにかく行ってみよう、そう思って出かけたのが、阿佐ヶ谷の〈Next Sunday〉だった。遅れて入ってみると、満席で立ち見が出るほどの盛況の中、阪本は普段通りに唄っていた。6月の蒸し暑い夜だった。今思い出しても、夢の中の出来事のような気がする──今夜のライヴのこと、何故出かけていったかは、明日の日記で改めて書きます。