午前中にジム。最近なるべく早い時間に行くようにしてるのは、帰りに野菜を、スーパーではなく駅近くの八百屋さんで買うからです。店先にカゴを出して品物を入れ、値段を短冊に太マジックで手書きしているようなお店。午後4時頃には閉まってしまう。ココが安い、イヤハヤ安い。そして美味しい。本日も大きくて身のぶ厚いピーマンが7個入りで98円。スーパーなら安くても200円はする。他にも赤ピーマン(大好きなんだけどなかなか売ってないんだよね)が6個でやはり98円。長葱は細いけれどしっかりしたヤツが5本でこれも98円。どうです、合計でも300円以下。
しかし感覚的に言って、決して安すぎるとは思わない。この辺りの価格が妥当だと僕は感じるのだけど、どうでしょう? 少し前この日記で触れた
『ユリイカ2009年4月臨時増刊号 総特集=坂本龍一 SKMT』に、教授と文化人類学者・竹村真一氏との環境をテーマにした対談が収録されている。その中に「九州で作った野菜をトラックでCO2を排出しながら東京まで持って来るなんて本当に愚かなことだと思います(坂本)」という発言がある。要するにいつどんな時でも形の整った野菜を24時間開いてるスーパーで買おうと思うから高くなるワケで、そこには商売として儲けようという人達の思惑もあるのだろうが、まずは自分からそういう生活をやめればいいのかな、と考えたワケです──というのはウソで、ココの八百屋さんの野菜は本当に美味しいからなんですが。
もうひとつその対談の中には、先ほどの教授の発言を受け、竹村さんがこう答える場面もある。「(電気は)今仰ったように遠くで発電して送電の過程でたくさんロスをしながら運ぶ。まず発電の段階でエネルギー効率は40パーセントくらい落ちる。送電の過程でさらに40パーセント。それを白熱電球で放熱して光に転換している段階に残っているのは0.7パーセントくらいと言われている。つまり投入エネルギーの99パーセント以上を無駄にロスしているわけです」と。これ、「2009年3月、日比谷にて」と最後に記されている。つまり、震災の丸2年前、既に環境を考える人の間では当たり前に話されていたんですね。僕は全然知らなかった。
しかもさらに、この竹村さんの発言に続き、教授は「電気屋さん(たぶん東京電力を始めとする電力会社)は巨大なインフラだから、それが最後の牙城のように誇りにしてる」と言い、「けれどそれは19世紀から20世紀にかけての考え方で、これからはインターネットに代表されるような分散型にしていかないと」と提言してるのであります。結局のところ今、世界各地で格差と既得権に対する抗議行動が起きているようだけれど、それってたぶん、時代の変化に伴うごく自然な要請なんだろうな、きっと。