5時起きが続いている。これは決して体調が良いわけではなく、テンションが高いのでもなく、ましてや勤勉の証ではありません。よく、寝るにも体力が必要と言うが、それだと思う。疲れが溜まっていて、長い時間寝ていられないのです。本日は午後より打合せなので、早朝よりiMacに向かう。書き下ろしの直しをしょこしょと進める。昼食を取ってから外出。行き帰りの電車の中で、少し前に買った
『ユリイカ2009年4月臨時増刊号 総特集=坂本龍一 SKMT』を読む。2009年『out of noise』発表直後のロング・インタビュー他、何人もの人が非常に力の入った文章を寄せていて読みでがある。なので外出時にはこうしてデイパックに忍ばせ、未だパラパラと読んでいるワケです。
特に、自身もミュージシャンである批評家・大谷能生氏による「〈音楽の毒〉の構造化について」と題された、80年代の坂本龍一、特にソロ作品について書かれた評論が素晴らしい。大谷さんがここで書いているのは、ざっくり、というはあまりにざっくりと言ってしまえば──西洋の伝統的な音楽は早い時期から「眼に見えない音」をデジタル化(譜面によって視覚化)した理論体系であり、その一方に20世紀半ば過ぎから隆盛したポピュラー音楽というものがある。こちらラジオ放送やレコード盤といった「音そのもの」を体験する表現形式だ。坂本龍一という音楽家は、その現代音楽という「紙に書けるもの」と、ポップスという「紙に書けない」音楽との間に立ち、さらにその媒介となったのが、70年代後半、まだ非常に不安定な形をしていたシンセサイザーという楽器である、というようなことになる(←ココまでは導入。もちろん結論は別にある)。
つまりはけっこうややこしいことを、僕みたいな素人でも「そうか!」と膝を叩けるほど平易な言葉で簡潔に表現しておられる。難しいことを難しく書くのもそれなりに大変なんだろうが、僕個人は、難しいことを判りやすく書ける人が、本当に文章というものが上手い人だよなあ、と思う。「スッゲー頭いいんだろうなー」と感嘆してしまうのです(オレがバカだからか、涙)。菊地成孔さんとの共著
『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』、あまりの大著なので手を出すのをずっと躊躇していたのだが、最近文庫にもなったようなので、読んでみようと思いました。
※写真は本日の帰り道、JR中央線車内より撮影。ジャイアンツのTシャツを着た少年2人とお母さんらしき女性。デーゲーム観戦の後、といった感じ。そう言えばプロ野球ってどうなってるの? もう優勝チームは決まってんだろうか。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。