6時起床。3日ほど前から、夏物の掛け布団を出して寝ている。窓を開け放ってストレッチしていると、半袖のTシャツとトランクスだけでは寒いほど。しかしそうこうしているうちに、気温はわずかずつだか上昇しているような気がした。excite.ポータルのお天気サイトによると、6時の気温は16度。9時には19度まで上がるという。少し迷ってやはりタンクトップとジョギングパンツで走りに出かける。15度を下回る辺りが、ウインドブレーカーとロングスパッツを着るかどうかの境になりそうだ。公園はかすかに銀杏の匂いがする。先日の台風でけっこう実が落ちたようだ。拾っている人もいた。
戻り、家の中ではユニクロのロングパンツと靴下を履いてはみたものの、やっぱ暑いなと思っては脱ぎ、うんにゃ、やっぱ寒いかと履いたりを繰り返す。ところで、先日の『キングオブコント2011』での2700のコント、
「キリンスマッシュorキリンレシーブ」を巡ってネタ担当八十島くんのブログが炎上しているとのことですが、それはともかく。あれ、デヴィッド・リンチ『インランド・エンパイア』のウサギ人間の世界に似てませんか? 僕は観ていて「おー」と思ってしまいました。何でしょう、同じ動物の“かぶりもの”ということもあるのだろうが、不気味で、ちょっと怖くて、でも妙に懐かしくて、物悲しくも面白い──というような世界。
村上春樹さんの小説『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』に出て来る羊男にも、同様のものがある。僕はかねてより、羊男の原点はスタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』にあるのでは? と睨んでいて(かつて春樹さんはあの映画を好きだと発言していた)、ラスト近く、主人公ジャック・トランスが錯乱し、オーバールック・ホテルを駆け廻る時、誰も居ないはずのホテルの一室に、チラリと羊の格好をした男女が戯れるのが一瞬だけ見えるシーンがある。あれが怖い。滑稽で、ちょっと可愛いんだけど強烈に不気味。意味なんて判らない。ただひたすら、「おーっ」と思う。
「面白いか」「面白くないか」ではなく、「判るか」「判らないか」、「感じるか」「感じないか」の世界ではないか。そもそもウサギ人間って何? 何故羊の格好した男がホテルに棲み着いているのかなんて言われても誰にも判らない。いやもちろん、映画評論、文芸批評的に言えば「○×の象徴として」とか、「×△のメタファーなのだ」と説明は出来るのだろうが、観客として読者として作品に触れる上では、あまり意味がない気がする。小説『1Q84』にしたって、〈空気さなぎ〉って何? 〈リトルピープル〉って誰? と問われても困ってしまう。意味はあるのだろうが、説明することにそれこそ意味があるのか。
Wikipediaに引用されたものを孫引きすると、村上さんは〈リトルピープル〉を、「神話的なアイコン(象徴)として昔からあるけれど、言語化できない。非リアルな存在として捉えることも可能かもしれない。神話というのは歴史、あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれていて、ある状況で突然、力を発揮し始める。例えば鳥インフルエンザのような、特殊な状況下で起動する、目に見えないファクターでもある。あるいはそれは単純に我々自身の中の何かかもしれない」と答えておられる。明快ではあるけれど、説明して貰って、僕らの中で何かが解決する問題じゃないはずだ。要は「感じるか」「感じないか」。たぶん「感じる」ことが必要な人は、その映画を観て、小説を読んで、心の底の何かが振動するのだろう。
2700の八十島くんは、デヴィッド・リンチのファンなのだろうか。それとも全然知らなくて、「へー、世の中には同じようなこと考える人もおるんやなー」と言うかもしれない。それはともかく、ココ数日あの、「♪♪きりーん・すまっしゅ、お・あ、きりん・れしーぶっ」というメロディがアタマから離れません。気がつくと道を歩きながら唄ってる。「♪♪きりーん・すまっしゅ、お・あ、きりん・れしーぶっ」(笑)。