5時半起床。昨夜床に就いたのは3時過ぎ。2時間ちょっとしか寝ていないが、涼しかったせいで久々に熟睡出来たようだ。6時半よりjog。東京は気温20度。まるで秋のようだ。7時半くらいから陽が出る。今日もクリーデンスを聴きながら120分走る。昼食をとりながら、HDD録画しておいた『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』、「転校生芸人」の回を観る。この歳になっても年に何回か、中学時代の友人7、8人で集まるのだけれど、その中で、小学校1年から入学しているのは1人しかいない。つまり他は、僕も含め全員が転校生である。それも決して確立1/8というわけではない。その1人が特別なのだ。小学校1年から中学卒業まで地元の小中で過ごしたのは、数えたわけではないが10人に満たないのではないか。
というのは我が地元・川崎市麻生区。駅でいうと小田急線、百合ヶ丘、新百合ヶ丘界隈というのは、典型的な新興住宅地である。それもまず昭和30年代後半に公団住宅が出来、40年代に入って多摩丘陵が切り崩されて造成され、ベッドタウンが構成された。当然子供達はよそからやって来る。しかも高度経済成長期真っ直中である。公団に住んでいる親達というのは、安い家賃で暮らしながら貯金をし、やがて別の土地に家を建て移り住んでいく人が多かった。故に団地に住んでる子達は次々と転校して行った。まあ、見事なほどに流動的な共同体であり、転入して来る子も居なくなってしまう子も、まったくもって珍しくはなかった。
僕の場合小学校3年の2学期に引っ越して来たから、一応「転校生」扱いはされた。軽いイジメというか意地悪というか、「転校生のくせにナマイキだー」と言われる程度のことがあったり、逆に親切にして貰ったりというのもあったが、可哀想なのは学年の始まり、つまり1学期のアタマから転入して来たヤツである。何しろ転校生が多い(多すぎる。ひどい時は1学年に30人くらい居る!)から、よその土地から来たということにさえ気づいて貰えないという現象が起こる。今では公団住宅の多くが取り壊され、建て直されたところもあるが、全体的な戸数は激減した。住宅街の方は高齢化して、子供の数は極端に少ない。今でも、あの街に転校して来る子はいるのだろうか。
※写真は昨年7月撮影。常磐線金町駅近く、江戸川河川敷へと続く歩道橋にて。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。