6時半起床。朝から原稿書き。正午前に一本仕上げ、編集さんにメールで送る。昼食を取る前に少しだけ横になろうと思っていた時、インターフォンが鳴る。出てみると、「朝日新聞なんですが、ご挨拶に」という声が。実は、4月から新聞の購読をやめていた。先月末いつもの集金に兄ちゃんが来て、「更新の契約を」と言われた時、「申し訳ないけれど、もうやめるよ」と思い切って伝えたのだった。理由は色々ある。これだけインターネットで情報が得られる中、紙の媒体がどれほど必要なのか? そして3月20日の日記にも書いたが、今回の地震で、つくづく新聞の見出しを眼にするのが虚しくなった──等々。しかし、何より我が家の財政的な問題だ。
ドアを開けるといつもの兄ちゃんでなく、70代くらいに見える男性が立っていた。販売店のご主人だそうだ。「長い間お世話になりまして」とタオルをくれた。ただ、予想はしていたが、お店は大変なのだそうだ。それでなくとも購読者数は激減している。そして我が家が朝日新聞を取ってるというデータは、本社のコンピュータに登録されているそうだ。だからそれを取り消すと販売店に文句が来る。「この東良という客が取るのやめたようだが、どういうことだ。何とかしろ」と。ご主人曰く、「今すぐまた取ってくださいとは言いません。ただ、半年後くらいに再開してくれるというお約束を頂けませんか? 半年経ってだめならだめでそれはいいんです。取り敢えず本社に対して言い訳は出来るので」ということだった。
そこまで言ってくれるので、こちらも実情を包み隠さず話す。僕がフリーランスで執筆業をしているということ。今月は書き下ろしがあるが、それ以降、仕事の予定はない。またもや失業状態に突入する。企画を考えて実現化に向けて動きださなければならないが、それがお金になるのは早くて来年の春である。故に、半年後から毎月4,000円近くを払うのは正直苦しい、と。ご主人は「そうですか。大変ですね。それにしても困ったなあ」と、本当に困り果てた顔になり、僕も「困りましたね。大変ですよね」と頷く。その人は挨拶ということだからだろう、地味なスーツに身を包んでいたが、その上にジャンパーを羽織り、足元はスニーカー。ショルダーバッグをたすき掛けにして、手にはメモを持っていた。こうして店主自ら、購読を断られた家を一軒一軒お願いに廻っているのだ。
何とかして差し上げたいが、僕も物書きの端くれとして、読みたくないものにお金は払いたくない。資料として必要な本も山ほどある。4,000円あれば、単行本が2冊から3冊買えるのだ。それにしても解せないのは、売れないのは販売店の責任だろうか? 本や雑誌なら書店の営業努力ということも多少あるだろうが、宅配と駅売りが主の新聞の場合、問題の中心はやはりその内容だろう。テレ朝の番組とかに登場する論説委員という人達の年収は、一説には数千万円とも言われる。責任ということなら、彼らの給料からカットされるべきだろうが、そういうことは行われているのだろうか? 新聞店のご主人はかくしゃくとされ、お爺さんという感じはしなかったが、それでも70才は確実に超えていた。そういう人が戸口から戸口へ頭を下げて廻っている。「私はこの街で20年新聞屋をやっております」という言葉が、誇りと同時に今後の不安を表していた。