本日は昨日、一昨日より少し遅く、5時10分前に起きる。お風呂に入り、仕事の資料用の本を読む。ミルチャ・エリアーデ著
『永遠回帰の神話〜祖型と反復』(未来社)。エリアーデはルーマニアはブカレスト出身の宗教学者。幻想小説を書く作家としても知られている。1930年代カルカッタでサンスクリット語とインド哲学を研究し、戦後はルーマニアが共産圏に併合されたこともあり主にパリで活動。晩年はアメリカに渡りシカゴ大学の神学部宗教史科主任教授として過ごした。
僕はこの本を大学生の時、宗教学のテキストとして読んだ、と書くとカッコイイが、まあ自分でも呆れるほどな〜んにも勉強しない学生であり、これも確かテストかレポートを提出するために、無理矢理買った。言わば「一夜漬け用」であります。けれどどういうワケがアタマに引っかかる所があり、その後も何度か読み返した。今手元にあるものは「1993年2月20日・第17刷発行」とあるから、おそらく30才を越した時、もう一度読みたいと思い買い直したのだろう。何が僕をそんなに惹きつけたのか? それは今考えても良く判らない。しかし、第一章の最初の方に以下のような文章がある。
「事象とか行為とかは、一つの様式、また他の様式によって、それらを超越する存在とかかわりあうゆえに価値を獲得し、そのことによって真実なるものになる」。エリアーデは此処で主に古代人の世界認識のことを言っているのだけれど、それは普遍的な人間の有り様だと僕は思っている。例えば我々は「机」を見た時に、100%自律的に「これは机です」と認識することは出来ない。人によっては踏み台に見えるかもしれないし、大きいものならベッド代わりに使って寝転びたいと思う人もいるだろう。はたまた単なる木材の寄せ集めとしか感じられない人も、いておかしくはない。
つまり我々をして「机」を「机」たらしめているのは、「これを机として使いましょう」という取り決めではないか? 言わば共同幻想である。「お金」なんてのは、その最たる例ですね。単なる紙切れやら銅やアルミの円盤で何故物が買えるのか。それはある特定(国や地域)の人達が「これはお金として使いましょう」という認識の元に取り決めたに過ぎない。エリアーデの言う「それらを超越する存在」というのは例えば神様のような存在だろうけれど、古代に於いて地上に無数に転がる「石」の中に「聖なる石」が生まれたのは、人間が自分を超えた存在を仮定して、「神託によってこれを聖なる石とする」という風に決定したわけだ。
本書・第一章「祖型と反復」には、〈地域・寺院・都市の天空的祖型〉とか〈宇宙創造の反復〉という項があって、古代の人々は街やお寺を造る際、夜空を眺めそれをお手本に作っていたのだ──というようなコトが書いてある。だからコスモスとは「宇宙」を意味し、カオスは「混沌」を指す。つまり地上にあるすべての混沌は、宇宙を見習って整理整頓されていったということになる。それは後に読んだアンドリュー・ワイル+ウィニフレッド・ローゼン著
『チョコレートからヘロインまで〜ドラッグカルチャーのすべて』にある、外的世界に存在するドラッグの幾つかは、実はすべて人間の脳内で発生する物質と同じ分子構造をしているなんて部分と妙に符合して、「う〜ん、なるほどなあ!」なんて思ってしまったのだ。
こう書いていくと、つまり人間の脳とはもうひとつの宇宙なんだよという見方も出来るかもしれないが、僕はちょっと違う気がする。それよりも僕らは、「超越する存在」と何らかの形で繋がりたいのではないか? それを宗教者は「神」と言い、チャネラーは「宇宙生命体」と言ったりするわけだが、呼び方はどうあれ、我々はそのような存在と「繋がる」という確かな予感を持っている。何故なら脳の中にその「祖型」を持っているからだ。
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