僕は霊感のようなものは無いし、神も仏も天国も信じない不信心者であるが、それでも時々不思議な体験はする。約一週間前のことだ。仕事上で読まなければならない資料があったので、原稿書きを終えてからも珍しくアルコールを口にせず、2時間くらい眼を通してからベッドに入った。普段ホロ酔いで寝る癖がついているのでなかなか眠りに落ちることが出来ない。しかし、気がつくと夢を見ていた。夢の中の僕は、近々とある巨匠の映画監督(例えば黒澤明のような)へのインタビューを控えていて、その人のフィルモグラフィーを調べているのだが、一作だけどうしてもタイトルの判らないものがある。
大昔にその作品タイトルを聞いた記憶があるのだが、どうしても思い出せない。そこで地方に住んでいる映画マニアの男(この人は実在する)に電話をしてみるが、「彼も判らないな」と言い、「調べてみる」と電話を切る。しかしその次の瞬間、何故か僕の脳裏にその失われた題名が思い付くのだ。夢の中の僕は思わず叫ぶ、「わかったぞ!」。すると、こういうのは経験のある人も多いと思うけれど、実際にベッドの上でも叫んでいて、自分の寝言で眼が覚めた。その時だった。枕元にいた何かが、その声に驚いたのだろう、明らかに慌ててサッと飛んで逃げた。
今の何だったんだ? そう思い起き上がる。そしてトイレに行ってから寝直そうと立ち上がった時、それを見た。月の光が窓から差し込み、隣家の木々の葉で寝室の壁に模様を映し出していた。少し呆れながら、声に出して言った。「──みャ太」。ソイツは光と影で見事に相棒の
白と黒のヘルメット柄を描いていて、まるで一休さんが追い出せと言った屏風の虎よろしく、壁に張り付いていた。その後も1時間ほどうとうとして、また眼が覚めてもう一度壁を眺めた。すると月の位置が変わり、光が動いたのだろう、今度は
二匹の黒白ネコが寄り添い、安心して眠っている姿になっていた。翌朝になって気づいたのだが、その夜、月は出ていなかった。昼間から翌日にかけてずっと曇り空だったのだ。月光と思っていたのは、隣家の外灯だった。じゃあ、何故夜中に光が動いて違う影を作ったんだ──?
今日、古い女友達からメールが来て、一緒に暮らしていたネコが亡くなりましたと知らされた。彼女と住み始めてすぐ、心臓に先天的な病気があると判ったが、13年間決して離れることなく、お互いを守り続けた。毛長種の真っ白な、美しい女の子だった。僕は最近、死とは永遠という意味なのではないか、と考えるようになった。ぎじゅ太が死んで6年半、来月にはみャ太5回目の命日が来る。けれど僕はずっと相棒達と共にいる。僕が死ぬまで、いや、僕が死んでもそれは変わらないだろう、永遠に。すべてのネコの飼い主が、そうであると信じている。