7時に目覚ましをかけるものの起きられず、9時まで眠る。10時過ぎよりjogに出る。外はグレイな曇り空。時々、傘は要らない程度の雨がはらはらと降る。公園に人の姿はまばらだ。落葉も始まった。iPod Shuffleにはフリーを入れた。こんな静かな秋の遅い午後に、この70年代初期のイギリスを代表するブルーズロック・バンドを聴きながら走るのはジョガーの幸せである。以前「冬になるとザ・バンドが聴きたくなる」というようなことを
『追想特急〜lostbound express』に書いたが、フリーの音楽はそのもう少し前、この深まりつつある秋に似合う。
ザ・バンドとフリー。ブルーズを基本にしているということ以外、二つのグループに相似点は無いように見える。しかしひとつひとつの音や唄の発声に、まさに一球入魂の如く魂を込めていく音楽の在り方に、聴く者は同様の感銘を受ける。一例を挙げればザ・バンドのロビー・ロバートソン、そしてフリーのポール・コソフ。この二人のギタリストが作り出す音には、唯一無比の響きと輝きがある。想像するに二人とも同時代の花形ギタリスト、例えばジミ・ヘンドリクスやエリック・クラプトンのように、華麗なフィンガリングが出来なかったのだと思う。
だからそのぶん、まるで一音一音に魂を込めるが如く弾くしかなかったのではないか。ロビーもコソフも、音数は極端に少ない。しかしロビーはピッキング・ハーモニクスを多用し、コソフは極端に震わせるヴィブラートと引き裂くようなチョーキングで、少ない音に限りなく多彩な表情を付けていく。二つのバンドに明らかな違いがあるとすれば、ザ・バンドのメンバーがボブ・ディランに出会うまで、かつてのボスであったロニー・ホーキンスに連れられ長い長いドサ廻り生活を余儀なくされていたのに比べ、〈ブリティッシュ・ブルーズの父〉と呼ばれる
アレクシス・コーナーに見出されてレコード・デビューしたフリーのメンバーは、若くして世に出た。
それも、ヴォーカルのポール・ロジャース、ギターのポール・コソフ、ドラムのサイモン・カークは19才。ベースのアンディ・フレイザーに至っては16才になったばかりだった。ただし、ザ・バンドの面々がそうであったように、フリーも3枚目にして最もヒットしたアルバム
『Fire and Water』のジャケット写真を見ると、とても20才前後の若者とは思えない老成した表情をしている。音楽的に言っても極端に渋い。テンポの遅い曲が多く、ギター以外の音数も少なく、ロジャースの唄もメロディに乏しい。それは同時代イギリスの人気グループ、例えばエリック・クラプトン率いるクリームやレッド・ツェッペリンの持つ華やかさと目眩くスピード感とは遠くかけ離れている。けれどだからこそ、彼らの音楽は何かが少しずつ終わりゆく、この季節に似合うのかもしれない。