時々、曖昧だがとても鮮明な記憶が甦ることがある。その場所、そこで感じた匂いまでがはっきり感じられるのだが、自分がなぜそこに、何のために誰と一緒に居たのかはまったく思い出せない。ここ数日も、そんな記憶の断片が浮かんでは消えていた。僕は渋谷東邦生命ビル1階の喫茶店にいて、誰かと会っていた。その席、その人の窓越しに見えた景色までリアルに甦るのだが、何のためにそこにいたのたか、相手が誰だったかを、記憶の底から取り出すことが出来ない。けれど、今日それが不意にわかった。夕方、そろそろジムに行こうか思いつつ、日テレのニュース番組『every.』を流しながら台所で洗い物をしていると、藤井アナウンサーが「速報です。嬉しいニュースが入りました。日本人お二人がノーベル化学賞を受賞されました」と言った。
そう、きっと同じ季節だったからだ。この、ひんやりした空気や漂う金木犀の香りが、その記憶を連想させていたのだろう。ある日、まったく面識の無い人から電話がかかって来て、とある衛星放送のTV番組で司会をやってくれないかと言われた。僕は書くことが仕事なので、しゃべることは専門外だ。ましてや司会なんて出来るはずない──そう言って断ったのだが、相手はなかなか承知してくれない。「そうおっしゃらずに、一度会って話だけでも聞いてもらえませんか?」「いや、お会いしても結論は同じですよ」と言っても納得してくれない。たぶん30分以上、そんなふうに電話の押し問答が続いたと思う。結局僕の方が折れて出かけて行った。相手が指定したのがその、渋谷東邦生命ビル1階の喫茶店だった。
で、結論はというと、電話ではあれだけ何度も「一度会って話だけでも」と言っていたにも関わらず、ほとんどその話題は出なかった。相手は僕の顔をひと目見て、「ああ、この人はテレビ番組に出して上手くいくようなタイプではない」と即座に判断したのだろう。プロデューサーとしては実に見識があったわけだ。僕にとってはまったくの無駄足であったわけだが、けれど決して悪い印象はない。たぶんその人の話が面白かったのだ。とは言えその内容はほとんど覚えていないのだからあまり意味はないのだが。ただひとつ覚えているのが、ノーベル賞についてのことだった。島津製作所のサラリーマンだった田中耕一さんが化学賞を受賞して話題になっていた。相手は「あの人はいい。ああいう人がいると元気になれる」というようなことをしきりに言っていた。
9時前にジムに入り、ストレッチしていると、有酸素運動マシンに備え付けられたTVモニターに、その田中耕一さんが出ていた。受賞時には「ずいぶん若い人が取ったんだな」と思ったが、現在の田中氏は髪に白いものが混じり、それなりの年齢に見えた。帰ってWikipediaで調べると受賞は2002年、8年前だ。田中さんは僕と同世代。きっと自分も同じように歳を取ったに違いない。あの日東邦生命ビルで会った人は、今何をしているのだろう。