6時、2時間ほど寝ただけで起床。jogは自粛。ジムはスポーツクラブ全体がお盆休みに入った。楽しみはお風呂の中の読書のみ。そして本日、赤塚りえ子・著
『バカボンのパパよりバカなパパ〜赤塚不二夫とレレレな家族』(徳間書店)読了。本書は大学時代の先輩で、ライターの今村守之さんが構成を担当されていることもあり、7月に刊行され話題になっていたのも知っていたのだが、仕事上読まなければならない本が色々とあって、2日程前からやっと開くことが出来た。ソフトカバーで336ページ。りえ子さんの語りというか、平易な話し言葉で書かれているので、ヴォリュームの割には比較的短い時間で読める。けれどココロにはズシーンと深い感動を与えてくれる名著である。
タイトル通り、これは自由奔放に生きたマンガ家・赤塚不二夫さんと、その家族の物語。家族とは、一人娘のりえ子さんに、これまた自由でカッコイイ、ママ・登茂子さん。そしてママと離婚後赤塚先生の2人目の奥さんとなり、後にフジオ・プロの社長に、前妻・登茂子さんとは最後まで親友だった眞知子さん。さらにママより8才年下の再婚相手キータン、りえ子さんのイギリス人の夫・ジョンさん。彼らの織りなす、冗談と悪ふざけと、愛と情熱。時には憎しみもあり、最後には寂しさも苦しさも、ある。
自由とは、時に大きなリスクを負うものなのだろうか? 赤塚先生が晩年病に苦しんだのは、マンガ家という超ハードな仕事で何日も徹夜をしながらも、決して休もうともせず酒を飲み続け、ムチャクチャに遊び続けたせいかもしれない。けれど、尚かつ「これでいいのだ!」と断言出来る家族の姿が、此処にはある。物語の後半、赤塚家を信じられない不幸が次々と襲う。末期のガンに冒され、モルヒネで朦朧としているママ登茂子さんの手を取り、りえ子さんがこう語りかける場面がある。「わたしの自慢のママなんだよ。最高のママなんだよ。世界一素敵なママなんだよ。ママを誇りに思ってるからね」。一生のうちその人にしか出会えない、世界でたった一人の生みの母親。その相手にここまで言える幸せって、他にあるだろうか? そう、だからこれでいいのだ。
もうひとつ、お風呂の中で不覚にも泣いてしまった場面があった。それは赤塚先生が人気絶頂の頃、時は1973年。「少年マガジン」に連載中だった『天才バカボン』の出来上がったばかりの原稿を、編集担当者の五十嵐さんがタクシーの中に置き忘れてしまう。売れっ子の先生だからもう〆切はギリギリのギリギリ。編集者も徹夜徹夜で付き合ってるからそんな一大事も起こってしまうのだろう。どのタクシー会社だったかも判らず、顔面蒼白になって謝りに戻って来た五十嵐さんに、赤塚先生はこう言った。「まだ時間はある。飲みに行こう!」。そして酒場に行ってもギャグを言い続け、意気消沈している五十嵐氏を励まし続けたという。
やがて朝になり飲み屋から戻ると、「大丈夫。ネーム(吹き出しの中に書いた台詞やト書き)が残ってるからもう一度描ける」と、先生はもう一度ペン入れを初め、再び同じだけの時間かけて仕上げる。そして五十嵐さんに手渡すのだが、その時の台詞が素晴らしい。「二度目だから、もっと上手く描けたよ」。TV等で良く見た、あの笑顔が眼に浮かぶようだ。これだけ書くと、底抜けに優しい人というイメージかもしれない。けれど僕はそれだけじゃないと思う。赤塚不二夫は、モノを作る苦しさも楽しさもすべて知り尽くしていた。また、それが決して自分だけの力で成り立っていないことも知っていたのだ。
赤塚作品が本人だけでなく、北見けんいち、高井研一郎を初めとしたアシスタントやブレーン、さらに担当編集者のアイデアによって作られていたのは良く知られた話だ。それもライバル他社の作品であっても、編集者達はかまわず企画の輪に加わったという。だから赤塚さんは五十嵐さんに、彼なりの厳しさも見せる。幸か不幸かタクシーに置き忘れた方の原稿は、数日後フジオ・プロに届けられる。そこで「もう二度と同じ失敗を繰り返さないように、お前が持ってろ」と、その原稿をプレゼントするのだ。そして赤塚さんが亡くなって1ヶ月後、五十嵐さんはりえ子さんにそれを返す。「この原稿の役目も終わりました」と。その間、なんと35年。作家と編集者が、これほど幸せな関係でいられることがあるだろうか。つまり赤塚不二夫にとって、周りにいるすべての人が家族であり、愛情の対象だったのだ。もちろん、マンガもギャグも冗談も──。