先週後半は色々と忙しかったので、昨日今日でHDD録画しておいた『ゲゲゲの女房』をまとめて観る。週のサブタイトルは「私、働きます」というもので、東てる美演じる銭湯のおかみさんが〈ロザンヌレディ〉なる化粧品の訪問販売員になって成功し、相変わらず茂さんの漫画が売れず家計のやりくりに苦労しているヒロイン布美枝さんも一大決心。「私もやります」と言い始めるのだが、果たして内気で引っ込み思案の彼女に、そんな仕事が出来るのか?──というような内容であった。
〈ロザンヌレディ〉のモデルはポーラ化粧品だろう。我が家にも来てましたね、ポーラのおばちゃん(笑)。小道具として、当時はおそらく最先端に垢抜けたデザインだったのだろう、薄いブルー、というよりも〈空色〉と表現するのが最も似合う、セールスレディの持つスーツケース風化粧バッグが出て来た。そうそう、あんな色のバッグだったなあと、昭和20年代生まれくらいまでの女性は、涙がちょちょ切れるほど懐かしかったのではないだろうか。
舞台は昭和37、8年だろうから、いざなぎ景気直前。世の中が豊かになって、主婦が美容に目覚めたということだったのだろう。それにしても、ドラマでも佐々木すみ江さん演じる貸本屋のお祖母ちゃんがフェイス・マッサージされるという場面があったけれど、色んな意味でアンバランスな時代だった。例えば当時の我が家を思い浮かべてみる。茂さん布美枝さん夫妻は貧乏というけれど、それでも4つ部屋のある2階建一軒家住まいだ。それに比べるとウチは4畳半と6畳二間きりの借家だった。そこに家族4人で住んでいた。
よく空気足りてたな? と思うほど狭い家でありながら、ポーラのおばちゃんは化粧や美容法を教えに我が家まで、毎月いそいそと通ってくれてたのである。加えて、そんな暮らしの中でも我が家にはマイカー(←死語ですね)があった。確かトヨタのコロナ、1200ccセダン。恐ろしくちっこい車だったが、一応新車だった。というのは、当時暮らしていた川崎市の菅(遊園地「よみうりランド」のちょうど裏側の辺り)というところがスゲー田舎で電車がなく、バスは1時間に1本しか通ってなかった。だから役者という仕事上夜の遅いウチの親父は、当然バスでは通えず、無理して車を買い、都内のテレビ局まで行き来していたワケだ。
世の中はどんどん豊かになっていくのに、住む場所やインフラは以前整わない。そんな時代だ。そう言えば電話のある家庭というのもまだまだ少なかった。ところでmixiの『ゲゲゲの女房』コミュには、〈GLOOMY SUNDAY〉というトピックが立っていた。ビリー・ホリディの名曲から取ったそうで、「放送の無い日曜日は憂鬱になる」という意味だそうだ。いやはや。