7時起床。今日は午後より都内で打合せなので、jogは自粛。11時過ぎに家を出る。外はアスファルトの照り返しが、眩しいほどの冬晴れ。駅に着いて「ああ、そうだった」と気づく。いよいよ中央線・三鷹〜国分寺間がすべて高架になったのだ。報道では聞いていた。約1年程前から下りのみ高架となったが、東京方面は相変わらず下を走っていた。それを12月5日(土)の深夜から6日(日)早朝にかけての突貫工事で、一気に変えたのだ。ネットで調べてみると、着工は1999年らしいが、僕の記憶によれば、本格化したのはこの日記を書き始めた2005年頃だったはずだ。
まず本線の南側に、二車線の仮線が敷かれた。これで何が起こったかというと、単純に線路の幅が倍になり、ただでさえ待ち時間が長くて有名なこの区間の踏切が、さらに〈開かずの踏切〉化した。ニュースやワイドショーなどでも報道されたはずだ。取り敢えず高くて長い歩道橋が造られたが、お年寄りや身体の不自由な人にはあまりに酷だという批判が続出して、JRは慌ててエレベーターを設置した。この界隈は自転車利用者が多いので、自転車ごと乗れる大きなものだ。それでも乗り降りするのは大変と感じる人も多かったのだろう、人身事故が起こった。踏切の幅が長過ぎて、時間内に渡りきれないおばあさんがいたのだ。そこで誘導のガードマンが立つようになった。
05年の12月、我が家の相棒ネコ・みャ太が死んで、彼を焼き場に連れて行く時にタクシーで中央線を渡った。時刻は正午少し前だった。三鷹〜国分寺間の中でも、ルート上最も〈開かずの踏切〉度が高いところを通らざるを得なかったが、地元の運転手さんだったので、「今頃の時間帯はそれほど込みませんから」と親切に言ってくれたのを良く憶えている。僕はみャ太を入れた段ボール箱を膝に置き、そっと手を入れて彼のふわふわの毛を撫でていた。あの日も、アスファルトの照り返しが眩しいほどの冬晴れだった。
今日はジョン・レノンの命日。この日記では毎年書いている気がするが、僕はどの年も本日より本格的な冬になると思っている。みャ太の命日も近い。5年も経てば色んなことが変わる。街も変わる。でもみャ太、オレはなんにも変わってないからなー、と心の中で呼びかけてみる。
※写真は本日のJR中央線・東小金井駅。高架になったホームより、北西の空を臨む。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。