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7時起床。新調したアンダーアーマーのロングスパッツと、モンベルのレインウェアでjog。雨が降っていないのにこのスタイルで走るのは今期初めて。いよいよランニングも冬仕様である。戻り、いつものように風呂に入り、昼食をとってからiMacに向かう。午後になって何気なくネットでexcite.ポータルを見ると「加藤和彦氏死去・軽井沢のホテルで自殺」とあり、ディスプレイの前で思わず「えっ」と声を出す。まさかと思うものの、TVでも続報が流れ、遺書があり親しい友人に「もう音楽でやることが無くなった」と語っていた等伝えられるにつれ、現実味を帯びてくる。日本を代表する音楽家最期がこういう形というのは何ともやり切れない。ホテルの浴室にて首を吊った状態で発見されるというのは、ザ・バンドのリチャード・マニュエルと同じだ。
ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたのは僕が10才の時。中学生になり、国内外のフォーク、ポップスのドーナツ盤を買い始めていた兄貴がいたから、リアルタイムで聴いた。6つ年上で高校生だった従兄弟が、英会話の勉強のためという名目でオープンリールのテープ・レコーダーを買った時には、僕らの世代なら多くの子供がやったように、「帰って来たヨッパライ」ごっこで遊んだ。その頃、我が家には尹隆道(ユン・ユンドウ)さんという人がよく遊びに来ていた。大島渚監督の映画『絞首刑』で主役の韓国人青年・死刑囚Rを演じた人である。 ただ、尹さんは本来役者ではなく、祖国の統一運動に関わりながら、映画のスタッフなどをやっていた。そして大島監督の次作『帰って来たヨッパライ』にも助監督として参加する。これは曲の大ヒットを受け、松竹がいわゆる歌謡映画として企画したものだが、ザ・フォーク・クルセダーズ側が「監督が大島渚なら」という条件を出したのだ。結果、物語の前半と後半に同じストーリーが繰り返されるという、非常に前衛的な作品になった。しかし、子供だった僕はそんなことは知らない。尹さんに「フォークルのサインもらってきて」と頼んだ。 僕と兄貴のことを弟のように可愛がっていてくれていた尹さんは、笑顔で「いいよ、まかせときな」と言ったけれど、数日後、撮影の中日で我が家にやって来た彼の手にサインはなかった。聞くと「残りの2人はOKしてくれたんだけど、いちばん背の高い人だけが『サインというものはしない』と言うんだよね」とのことだった。つまり北山修、端田宣彦は了解したが、加藤和彦だけはしなかった。故にフォーク・クルセダーズのサインは貰えなかったわけだ。尹さんは、「彼はベ平連に入って活動をしているし、まあ、そういう人なんだな」と少し言いにくそうに語った。でも、僕はがっかりしたという気持ちはあまりなく、むしろカッコイイ人なんだなあ、と思った。芸能人じゃないんだ、というか、「芸術家」という言葉はまた知らなかったけれど、加藤和彦というのはそういう人なんだと、子供心に感じたのだと思う。 その意味では、こと音楽だけにとどまらない人だったと思う。フォークル人気絶頂の時にジャケットで変装し、「水虫の唄 / レディー・ジェーンの伝説」というレコードを、覆面バンドを装いザ・ズートルビー名義でリリースするとか、ファースト・ソロ・アルバムのインナーにレコード会社への抗議文を載せる。日本のギタリストで初めてマーチンD45を買ったのは加藤和彦だったと言われ、それは当時CSN&Yがやっていた本格的なアコースティック・サウンドを実現するためだった。サディスティック・ミカ・バンドを作る前に、ロックバンドをやるには日本にもPAが必要だと感じ、フォークル時代の印税すべてを使って機材を買いまくり、ギンガムという音響会社まで作ってしまう。 買う──と言えば、あの頃日本では皇族を除くと数台しか所有されてなかったロールスロイスを購入した話は有名だ。ミカバンド時代、ロンドンでのことだそうだが、その時のエピソードは景山民夫の『ONE FINE MESS—世間はスラップスティック』というエッセイに書かれている。まだ運転免許を持ってなかった加藤和彦に景山民夫が付き合い、ロールスのディーラーを訪ね、2人で大金持ちのフリをして値踏みするというものだが、何せ景山さんの文章なので何処までが本当で何処までがホラ話なのかは判らない。ちなみにその「黒スーツを着てきた意味」という章の前には、「I氏のキーホルダー」という、景山民夫が偶然乗ったタクシーで、運転手から伊丹十三の忘れ物であるホンダシティのキーを託されるという話がある。結局、全員が故人になってしまった。カッコイイ人が次々亡くなってしまうのは本当に寂しい。
by tohramiki
| 2009-10-17 13:12
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