6時半起床。7時半からjogに出る。久しぶりの快晴だが、北風が強烈に冷たい。此処2週間ほど、寒い朝には走り出しの30分くらいが辛い。嫌だなぁ、と思う。12月末から年明けに比べ、気温的には全然寒くないにも関わらず。つまりは、もう心身共に「寒いのに飽きた」んです。人間って多かれ少なかれそういうところがあると思う。冬になりたての頃は、その風の冷たさや空気のキリリとした感じが新鮮で楽しい。クリスマスから暮にかけて、木枯らしの吹く街をコートの襟を立てて歩くのが、何処かうきうきする。しかし今はもう、春の暖かさが待ち遠しい。身体が重い。まだ疲労が取れていないようだ。108分、普段より70%くらいにスピードを落とし、ゆっくり走る。
昼間はやはり調子が出ない。少し長めに昼寝をして、夕方より短いインタビュー原稿を書く。夜10時に終了。昨日TSUTAYAで借りた『ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌』を観る。この、1968年五月革命の熱も冷めやらないパリからやって来たジャン=リュック・ゴダールが、アルバム『ベガーズ・バンケット』録音中のストーンズをロンドン・オリンピック・スタジオに訪ね撮影した名作、もしくは世紀の失敗作と言われたドキュメンタリーを、僕は初めて観た。僕らが高校生から大学生にかけての頃、ゴタールの映画はそう簡単には観られなかったのだ。
『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』が時たま名画座にかかるくらい。『男性・女性』や『女と男のいる舗道』は、中野公会堂だったか、自主映画上映会で観た記憶がある。そしてこのヌーヴェル・ヴァーグの範疇にも入らず、かと言ってロック映画とも呼べない『ワン・プラス・ワン』(←当時のタイトル)は、高田馬場のACTシアターや渋谷のユーロスペースといった場所で、忘れた頃に上映されるたぐいの作品だった。
一見して、オリジナル・ネガから新たにデジタル・リマスターされたという画の美しさに驚く。何しろゴタールに限らずトリュフォー、シャブロル。そしてフェリーニから小津、黒澤、吉村公三郎なんて人達の映画はすべて、名画座の画面に雨が降るような劣悪なフィルムで観ていたので、僕らの世代には「50年代、60年代の映画とはそういうものなのだ」「当時は技術的に画質が悪かったんだな」という間違った刷り込みがあるのだ。10数年前、京橋フィルムシアターで大島渚『太陽の墓場』を非常に状態の良いプリントで観て、その原色の鮮やかさに、俺がかつて観たものとこれが同じ映画なのかと驚愕したものだ。我が家の骨董品的ブラウン管テレビでもこうなのだから、最新のデジタル薄型TVならどれだけ綺麗なのだろう──。と、最初の30分ほど、2シーンだけ観て眠くなってしまう。果たして今週いっぱいの返却日までに見終わるのだろうか。