7時起床。8時よりjogに出る。114分。本日は一日中テープ起こし。普段は苦手、嫌だなあと言いつつだらだらやるのだが、此処の所ずっと確定申告の書類をしていたので、けっこう新鮮な気持ちで集中する。途中気分転換にTVを付けると、ニュースやワイドショーは中川昭一財務相の“泥酔”会見を、何度も何度も流し続けている。何というか、見てはいけないものを見てしまったという気がする。正直、笑えない。
『アル中地獄(クライシス)〜アルコール依存症の不思議なデフォルメ世界 』 邦山照彦 ・著という本がある。これは作家の故・中島らも氏も絶賛した、36回も入退院を繰り返した本物のアルコール依存症患者の書いた実話である。この中に、「中川一郎はなぜ死んだ」という章がある。言うまでもなく、昭一氏のお父さんだ。
中川一郎衆議院議員(当時)は1983年、札幌パークホテルのバスルームにて、首を吊って自殺した。著者はこれをアルコール依存症による血中濃度の低下により鬱状態になったことが原因だ、と書く。もちろん推測に過ぎないのだが、“本物”の言うことだから説得力がある。他にも前年、自民党総裁予備選での惨敗辺りから一郎氏の酒量が大幅に増え、「さかんに喉の渇きを訴えていた」「目やにと顔中に吹き出物が出た」「左手が震え、周囲の人に悟られまいとテーブルの下に隠した」等の記述がある。また、同じ頃福田赳夫元首相の家に招かれ酒を振る舞われ、泥酔し言いたい放題暴言を吐いて喧嘩したが、翌日何も憶えていなかった──アルコール依存症による典型的なブラックアウト(一時的記憶喪失)──というエピソードも紹介されている。
中川昭一は釈明会見で「風邪薬で頭が朦朧としただけ」と語ったが、もしこれが本当ならやはり父親と同じだ。中川一郎は死の直前、ホテルで行われた新年交礼会で体調不良を訴えつつも、周囲が止めたのにも関わらず「ウイスキーの水割りを四杯飲み」、「部屋に入ってからもストレートに近い水割りを何杯も飲んでいる」。そして、「夫人から睡眠薬を三回もらい飲んだ」「私たちのようなアル中には、睡眠薬とアルコールは死につながるというのは常識なのだが、中川夫人はそれを知らなかったようだ」ともある。
息子の方も同じだ。風邪薬を飲んであんなふうに呂律が廻らなくなったりするなんてことがあるだろうか。そしてただ単に酒を飲んで泥酔しているだけ、とも見えなかった。彼もまた、アルコールと何か別の薬を併用していたのかもしれない。その常識の無さが恐い。アルコールは飲み方を間違えると非常に危険なドラッグだ。その辺りの“ふんべつ”が、長年料亭政治を続けて来た自民党のセンセイ方には無い。そしてこの恐い、笑えない感じは、赤城農水相の絆創膏会見や、安倍元総理の辞任会見にも同様なものがあった。要は二世、三世として政治家一家に育った人の、庶民とはかけ離れた価値観と生き方である。そういう人達が国の重大な決定権を持つ、国民の税金の使い方を決める──これが笑えない理由だ。