朝、さあ起きて仕事を片付けなくてはと思いつつベッドで微睡んでいると、誰かが手のひらを掴んで来る。大きな手だ。ああ、Kだな、と思う。身長180センチの大きな男だった。従って手も大きい。力を込めると、握り返して来た。やがてそれはゆっくりと離され、誰かが後ろ手に手を軽く上げ、振り返らずに歩き去っていったような気がした。眼が覚めると身体とベッドの間に挟んで寝ていたらしく、右手が痺れていた。だからそんな夢とも空想ともつかぬ幻を見たのだろう。常々我ながら呆れるほどセンチメンタルな男だということは自覚しているが、まさか此処までとは思わなかった。しかしまあ、そんな性格のおかげで、肉体から離れた親友が魂になって、別れを告げに来てくれたような気になった。それはそれで、僕はシアワセなヤツなのかもしれない。
午後遅くになって、Kが生前お世話になった映画関係者の方から「訃報記事を作って、新聞各紙に流したらどうか」というアドバイスをメールで頂く。幸い、Kの妻がかつてスポーツニッポン新聞社で働いていた経験があり、当時の上司の方にお願いすると、スポニチ、共同通信、時事通信社で掲載してくれることになった。慌てて我が家にある朝日新聞の訃報欄を広げ、見よう見まねで草稿を作る。が──そこからが大変だった。既に夜7時前。新聞は〆切ギリギリだ。さらに、新聞社というのはメールの入稿という慣習が無いらしく、すべてFAXで送って欲しいとのこと。我が家にFAXは無い。
まずはスポニチのFAX番号だけをメモし、原稿と携帯を持って最寄りのコンビニへ走る。とは言っても武蔵野の田舎、いちばん近いコンビニまで15分かかる。辿り着いてまずはスポニチ宛てに一枚送って、その間Kの家族より共同通信、時事通信社の番号を聞き、続けてFAX。しかし新聞は当然確認を必要とするし各紙それぞれ文面の形式もある。記者の方から次々と電話が入り、何処も〆切ギリギリなので相当慌てておられる。しかし家族の確認無しに僕の判断だけでは答えかねる事案もあり、大慌てで対応に追われる。
それと、記者の方々の対応がいかにも“敏腕!”と言った感じでちょっとビビる(涙)。しかしそれでもお三方とも文化部の記者なのだ。社会部とかになるともっと慌ただしいのだろう。やれやれ。僕も毎月〆切だなんだと言っているけれど、それはしょせんノンビリとした月刊誌のそれであり、「ああ、俺は週刊誌や新聞の記者じゃなくて良かった」とつくづく思う。そしてやっぱりこういう時のためにもFAXは買っとくへきか、などと考える。ところで葬儀の方だが、かねてから聞いていたが東京都の斎場は現在パンク寸前に混んでいて、12月1日が通夜、2日が告別式となる。これは高齢化社会のせいなのか、それとも斎場が根本的に不足しているのか。