8時時起床。洗濯物を干しにベランダに出ると、快晴で陽射しも強いに関わらず少し“寒い”と感じる。CW-Xロング・スパッツと、モンベルのウインド・ブレーカーでjogに出る。それでも128分走って尚、ほとんど暑いと感じず。秋が深まりつつあることを実感する。今日は9日に少し練習したと書いた、InDesignというソフトで2ページ、デザインしてみる。相変わらず「アレレ?」などと戸惑いつつも、少しでも使い方が判って来ると楽しくなって来る。特に、InDesignには“プレビュー”という機能があり、ボタンを一つクリックするだけで、作業画面が一気に印刷された誌面になってディスプレイに映し出される。これがとても気持ちが良くて、何度も繰り返しては「ウヒヒ」などと言っている(笑)。
はて、どうしてこの“プレビュー”機能が快感なのかと考えてみると、やはりかつてはそこにあった膨大な手間と人々の苦労が一瞬にしてショート・カットされるからではないだろうか、と思い至る。パソコンを使ったデザイン、つまりDTP(デスクトップ・パブリッシング)というものが無かった頃、僕らはレイアウト用紙と呼ばれる紙にシャープペンシルで線を引き、色ホールペンで色指定をしていた。色指定というの色の4原色、赤、青、黄、黒をそれぞれ何パーセントと書き込んでいくわけだ。
そして出来たレイアウト用紙はゼロックス・コピーを取り、一部は文字原稿と一緒に写植屋さんへ、そしてもう一部は写真原稿と共に印刷所へ送られる。写植屋さんではオペレーターさんがライターや編集者が書いた原稿を一字一句タイプし、同時に版下デザイナーと呼ばれる人々が我々デザイナーがシャープペンで書いた線を、ロットリングや烏口と呼ばれる専門のペンで綺麗になぞってくれて、そこに印画紙に焼いた写植文字を貼り付けていく。これがいわゆる版下だ。一方その頃、印刷所ではカラー・ポジフィルムがスキャナーという機械にかけられ4色に分解されていて、写植屋さんから届いた版下をガシャッと印刷用のカメラで撮って製版フィルムというものにする。そこに製版職人さん達が神業のようなカッターさばきで、引き伸ばされ、4色に分解された写真原稿を切って貼り付けていくわけだ。
そこに来て初めて印刷の元になる版が出来る。それを印刷機にかけ、やっとのことで校正刷りというものが出てくるのである──これにかかる時間はどんなに急いでも丸1日。もちろん通常は、印刷所も写植屋さんも一つの仕事をしてるわけではないから3日、4日とかかる──それが、一瞬。もちろん、PC画面上のことだからシミュレートではあるのだが、ともかく眼の前でそれが行われるのは一瞬である。こう考えていくと、DTPシステム及びデザイン・ソフトというものの発明のために、どれだけの人が職を失い、リストラされていったかということへ想いが及ぶ。逆に言えばどれだけの経費が削減されたかということだ。
もちろんDTPシステムだけじゃない。こうして作られた印刷用データは、メールで瞬時にどんな遠くへでも送れる。その昔は僕自身もそうだったのだが、そうやって出来上がった原稿やレイアウトを「あっちへ行って取って来な」「今度は向こうだ」「アソコへ行くならついでにコッチにも寄って来てくれ」と飛び回る、“原稿取り”専門の下っ端アルバイト編集者というものがいたのだ。今は本が売れない、雑誌が売れないと、いう。しかし、いったいテクノロジーの進化によって不要になった、かつての僕自身も含め、そういう人々へ支払われた賃金は何処へ消えたのだろう? それとも、そうしたものを補って尚不況なほどに、今の世の中は貧しいのだろうか。どうも良く判らない。