8時起床。本日も美しい秋晴れ。公園は昨日と打って変わって人の姿が無くひっそりとしている。136分走る。昨日に引き続いて本のお話。30才くらいまで本を読むのは電車の中と喫茶店だった。それが今はお風呂とトイレに変わっている。1週間程前、本棚を眺めていて何気なくかつてキネマ旬報社から出ていた『世界の映画作家38〜ルーカス/スピルバーグとハリウッド・ルネッサンスの作家たち』を手に取り、トイレの本棚(我が家のトイレは一面に天井まで届く本棚が設えてあります)に置き、パラパラとめくっているうちに読み切ってしまった。タイトルにあるルーカス、スピルバーグ以外にも、マーティン・スコセッシ、ブライアン・デ・パーマ、ポール・マザースキー、ジョン・ミリアスらについて語られ、彼らを世に送り出したロジャー・コーマンを初め、兄貴格に当たるコッポラ、ボグタノヴィチ、フリードキンのディレクターズ・カンパニー3人組、さらには後を追うロバート・ゼメキス、ロン・ハワードらにも触れられている。
このシリーズは40巻ほど出ていて、A5判の9ポイント活字(版形は文芸誌サイズ、活字は文庫本と同じくらい)、30時詰め2段組というヴォリュームで、長めの評伝とがっつりした作品論を読むことが出来る。『世界の映画作家38〜ルーカス/スピルバーグ』に関して言えば、執筆陣は大久保賢一、川本三郎、今野雄二、宇田川幸洋といった人達。10代から20代の最初の頃にかけて、他にも6号の『大島渚』、24号『アメリカン・ニューシネマの俊英達』等数冊を読んだ。当時は少し難しいという気もしたのだが、今は意外にすらすらと読める。多少アタマが良くなったのかとも思ったのだけど(笑)、たぶん世の中全体に少し長めで力の入った映画評論というものが少なくなったせいで逆にそう感じるのだろう。
映画や音楽に批評や論文は要らないという人もいる。ただ純粋に楽しめば良いのだと。僕は少し違うと思う。人間というのは例えば友達同士で、「あのバンド良いね」「あの映画好きだなあ」と言い合っているただけでは決して満足出来ない。いや、正確には満足出来ない種類の人々がいると言うべきか。そして、「何処が良かったのか?」「その作品が何故自分の心に響いたのか?」を知ることは、我々にとってひとつの快楽である。さらに映画や音楽のように時間の流れに沿って移り変わる芸術を、活字という時間の止まった世界で味わえるということ、それは得難い幸せでもある。『世界の映画作家』シリーズは現在絶版のようだが、神保町の矢口書店やWebサイト
日本の古本屋等でほとんどのバックナンバーが手に入る。