8時起床。124分走る。今日暖かい。サイパンで三浦和義が逮捕されて、ニュース番組はその報道で持ち切りだ。勝谷誠彦氏も、有料のメールマガジンで昨日、今日とその話題を書かれていた。これが本当に面白かった。勝谷さんは当時、文藝春秋に入社したばかり。隔週刊雑誌『Emma』編集部にいて、〈疑惑の銃弾〉連載終了直後の『週刊文春』を間近で見ていた。だから興味深いのは当然なのだが、それ以上にひしひしと感じるのは、僕と勝谷さんの同時代性だろう。場所は違えどあの日あの時同じ空気を吸っていた。お互い若かったというのもあるだろうが、その記憶は生々しい。
僕は代々木のマンションの一室にある小さな編集プロダクションにいた。何処からかの電話を受けていた先輩編集者が切るなり「トーラ、今日、S来るか?」と訊いた。Sは後に僕の相棒になるカメラマンだったが、その頃はまだ新宿を中心に性風俗の取材などをしていた。「文春がSを探してる」と彼は言い、僕はいよいよロス疑惑が自分のすぐ近くまで来たか、と思った。何故なら、Sはいわゆる“一美さん殴打事件”の実行犯と言われた元ポルノ女優、矢沢美智子をある時期マネージメントしていたからだ。
その頃、Sには家が無かった。何でも同棲していた恋人と別れてしまったとかで、そのアパートは彼女に引き渡して、自分は朝まで歌舞伎町で取材に走り回り、朝方になるとウチの編集部に来て床に寝ていた。僕は下っ端でやたら忙しかったから会社に泊まり込んでばかりいて、それでSと話すようになった。育った環境とかは180度違ったが、同い年ということもあって僕らは気が合った。Sはカメラマンになる気なんてさらさら無かったと言った。高校を卒業して集団就職で東京に来た。高卒だが成績は良かったのでとある製パン・メーカーの品質管理の部署に配属され、給料はとても良かったという。ただ、逆にそれが災いした。初めてのボーナスでローンを組み好きな車を買い、チータカ遊んでいるうちに真っ当な仕事をするのがバカらしくなった。
会社を辞め、原宿で遊んでいる頃、仲間と一緒にとある大手モデル・プロダクションの偉い人に諭される。「オマエらいい年してチータカしてないで真面目に仕事をしろ」と。今はどうだか知らないが、当時のメジャー芸能プロは大抵下部組織としてハダカの女を扱う事務所を持っていた。そこを任せてやるから「やれ」というワケだ。何故大手がそのようなことをするのか? まずは金になるしハダカになる少女の中からスターの原石が発掘されない可能性はない。何より何者でもない若僧にやらせておけば、ひとたびトラブルが起きた時、そいつらを切って知らんふりが出来る。というワケでSは俄下流芸能マネージャーになり、そこで担当したのが矢沢美智子だった。そして案の定“ロス疑惑”というトラブルが起た。偉い人には先見の明があったわけだ。
その後Sが文春の取材に何と答えたのか、いや、そもそも取材自体を受けたかどうかも何故か記憶にない。編集プロダクションはというのは、一冊幾らという契約で版元から仕事を請け負う。だから勢い下請け仕事を必要以上に抱え込む。結果、一人の編集者に月刊誌を2冊も3冊も編集させるという無茶を強いる。たかがマイナーなエロ本とは言え、常軌を逸した仕事量である。僕は益々会社に泊まり込んで一日平均2時間程度の睡眠が続き、Sの方は85年の新風営法前夜、歌舞伎町や吉原で繰り広げられた狂乱の日々を取材しまくっていた。そのバカ騒ぎは結局のところ90年過ぎ、バブル崩壊まで続く。そういう意味では、当時から東京〜LAを頻繁に行き来するほどの金持ちだった三浦和義という人は、あの時代の牽引車だったかもしれない。
牽引車──と言えば、沢木耕太郎が三浦逮捕の瞬間に居合わせ、そのライヴな経緯を生々しく描いたノンフィクションの傑作「奇妙な航海」は、単行本
『馬車は走る』に収められている。