6時に目覚ましをかけたものの起きられず、8時まで眠る。しかしまあ、やはり陽が昇ってから起き出す方が楽しい。寝室の窓を見て、ああ、今日も良い天気だとか、冬らしいグレイな朝だとか、フム、雨も風情があるものだ──などと呟きながら一日が始まる方が。それに、この時間だと走り始めが辛くないのも助かる。9時過ぎよりjog、127分。さて、月曜日に取材が2本、打合せが1本あるので、この土日で仕事を終わらせなければならない。またまたかなり追い詰められて来た。午後からはひたすら原稿書き。
最近はこうして〆切が押し迫ってくると、温かい烏龍茶を入れて、それをちびちび飲みながらやる。2リットルのクーラーボックスにいっぱい作っておいて、それを飲む毎にカップをチンする。胃に溜まらないように舐めるように少しずつ、それでも一日4リットルくらいは飲んでいると思う。故・中島らもさんはかつてウイスキーをガソリンにして小説を書いたそうだが、僕の場合は烏龍茶で口を湿らすと、かなり体力的にしんどくなっても頑張れる。マラソンの選手がスペシャルドリンクを手にするような感じがしてけっこう気に入っている。
珈琲は飲み過ぎると気持ちが悪くなるし、緑茶は口の中に刺激があり過ぎる気がする。その点、薄めに入れた烏龍茶は水分補給に最適。問題があるとすれば、原産地が中国ということか(僕の飲んでいるのは伊藤園のだが、原産は福建省)。いや、こういうことは風評被害に繋がるので個人のブログでも書くべきではないのだが、何が言いたいのかというと、我々日本人が家庭で中国原産の食品を日常的に口にするようになったのは、この烏龍茶というヤツからではないだろうか?
こういうことを書くと若い人はビックリすると思うけれど、僕らが子供の頃、つまり七〇年代の前半頃までは、日本人のほとんどが烏龍茶なんて存在も知らなかったはずだ。親が奮発して高級な中華料理屋さんなんかに連れて行ってくれた時に飲んで、「へー、中国のお茶って美味しいね」なんて言ってた。親戚のオジサンが香港旅行に行って、フィンガーボールに中国茶が出て驚いたなんて話を自慢げにしてた。「中華料理ってのは油っこいでしょ、だからエビの皮なんか剥くと手がベトベトになるの。でも中国茶で洗うとサラリと落ちるんだなあこの脂が」なんて言ってたレベル。
烏龍茶を日本人が日常的に飲み始めたのって、やはり田中角栄が中国で周恩来と会って国交正常化の後、たぶんそれから5、6年後じゃないだろうか。つまり食品のグローバル化ってその頃から始まったんだよな。ちなみに、お茶というものでお金を取る、自動販売機でお茶が売られるというのも烏龍茶登場以降だと思う。それまでの日本人はお茶は無料、サービス品と信じてお金を払うなんて発想はサラサラ無かった──って、これも若い人はビックリするかもね。