6時半起床。jog124分。起きた時には背中と肩に少し凝ったような違和感があったのだけど──僕の場合、胃が疲労すると背中と肩の筋肉が凝る──走っているうちに内臓が活発に動き出して来るのが判る。今日から普通の食生活に戻せそうだ。昼過ぎから取材のテープ起こし。いつもながら苦手な作業ではあるのだけれど、こうして二日ほど仕事を休んだ後は良い肩慣らしになる。夜になってかなり冷え込んで来る。仕事場のデスク下に小さなオイルヒーターを出し、ついでにトイレにもパネルヒーターを置く。冬物の羽毛布団を圧縮袋から出して布団乾燥機でふっくらさせ、逆にその圧縮袋に昨日まで使っていた夏物の布団を入れ掃除機で吸引する。
午後10時過ぎに仕事終了。録画しておいた『ハタチの恋人』を観るつもりだったが、小沢民主党代表の辞任を受けたニュース番組(フジテレビの『プレミアA』)をついつい観てしまう。小沢一郎という人の、最も悪い面が出たな、と思う。有権者、国民、市民──何と呼んでも良いが、要するに民意というものよりも自らの“国を憂う”という気持ちの方が勝ってしまうのだ。一介の政治家の力で国家というものが変われると考えるのは、傲りであり浅はかな勘違いだ。いや、誇大妄想的と言っても良い。小沢さんはたぶん、前回の参議院選で大勝したのも、民主党が、もしくは自分が勝ったと思っているのだろう。あれは、民主党が勝ち取ったのでも小沢さんが勝ちへ導いたのでも、ない。単純に民主党に票を入れた人々に勝たせて貰ったのだ。
自分の力で国家というものが変わる、そういう誇大妄想的思い込みは端から見ていると実に滑稽だ。ナカソネとかナベツネとかいう老人達の妄言を見ていればそれは明らかだろう。森とかいう元首相と称する人物──あんなヤツが総理だったと日本人のほとんどが認めてない。何故なら誰もあの男を一度として選んだことがないからだ──がバカに見えるのと同じだ。世の中にバカがいて悪いとは思わないが、迷惑なバカは困る。小沢一郎は一日でも早く日本という国を、豪腕と言われるその力で“普通の国”にしたいのだろうが、そんなのは無理だ。一人一人が変わらなければ国家なんて変わらない。国家が変わるためには“民主主義”という気の遠くなるような面倒な手続きを経ねばならない。そう考えると、民主党という政党名はまるで皮肉のようだ。