9時起床。外へ出てみるとすごい風。しばらく雨が降っていないせいか、公園は野球場やドッグランといったむき出しの土の場所から、時々砂嵐のような強烈な土埃が吹いてくる。その度に風に背を向け、眼をつぶってやりすごす。そんなことを何度となく繰り返しながら114分走る。しかし、各地ではもっとすごいことになっていて、富山ではトラックが強風に煽られ横転していた。さて、そろそろ本格的な仕事モードに入らなければいけないのだが、部屋の中がとっちらかっていて、まずはそれを片付けるのが先決。牛乳パックを切って洗い資源ゴミに出す、流しの洗い物、確定申告用にファイルした領収書をまとめて押し入れにしまうなどなど。
それらを数日前に届いたばかりのジェイムズ・テイラーを聴きながらやる。初期のアルバムから一枚ずつCDプレーヤーのトレイに乗せる。『スウィート・ベイビー・ジェイムス』『マッド・スライド・スリム』『ワン・マン・ドッグ』。何気なくながらで流しているのだが、それでも時に「ああ」と思わずため息をつくほど、切なく胸を締め付けられるような曲がある。女友達の死を知らされ“神よ、天から僕を見守ってください。僕が何とか頑張りぬけるように”と唄われる「Fire And Rain」、“他の誰でもなく、あなただけ、あなただけ”とすがるように何度も繰り返される「Nobody But You」。
それにしても、こうして紙ジャケット仕様の容れ物から一枚一枚取り出してはプレーヤーに乗せるということをしていると、自分が今までコンパクト・ディスクというものをぞんざいに扱って来たかが判る。あのプラスチック・ケースだと、洗い物をしていて濡れた手でも、ちゃっちゃといい加減に拭いただけでCDをしまい別のを取り出すなんてことを平気でしていた。けれど紙ジャケットだとそうはいかない。丁寧に布巾で手を拭いて、特に『JT』や『ウォーキング・マン』のように白地を生かしてあるデザインのものなど、汚れた手で扱わないようにことさら注意するようになる。
でも考えてみれば、かつてアナログの時代は音楽を聴くというのはそのようないささか面倒で儀式めいた、しかし密度の濃い時間だった。高校生の頃学校から帰り、大学に入ったために家を出た兄貴の代わりに自分のものになった部屋に座り、やはり自分のものになったステレオセットと数枚のLPを夕食の時間まで慈しむように聴いた。ターンテーブルの蓋をあけレコード盤を乗せ、注意深く針を落とす。音が流れている間はじっと歌詞カードを読み、ジャケットに記載されたミュージシャンのクレジットを読んだ。憶えたての煙草を吸い、片面が終わるとひっくり返し、それも終わるとレコードスプレーをかけクリーナーで埃を拭き取り、中袋に入れて丁寧にジャケットにしまう。
そしてレコード棚を指でなぞり、次は何を聴こうかと思いを巡らせた。それでもまだまだ陽は暮れず、母親は一向に夕食が出来たと告げに来なかった。あの頃の夕方は何故あんなにも長かったのだろう。そしてあの頃あんなにも膨大にあった時間と退屈の数々は、いったい何処に消えたのだろうか。ジェイムズ・テイラーを聴きながら、そんなことをぼんやりと考えていた。