マンガ評論家の米沢嘉博さんが亡くなられたそうだ。少し前にこの日記で書いた
永山薫さんのブログで知った。ネットのニュースには“コミケ(コミックマーケット)の育ての親”とある。僕は大学を卒業して何とか雑誌に関われる仕事が出来ないものだろうかと、当時業界最大手と言われたエロ本出版社にアルバイトで入った。23才の時だ。同じバイト仲間に三つ年下のSくんという人がいた。特撮映画ファンでマンガマニアだった。彼から初めて晴海でそのような催しがされていると聞いた。コミケ、コミケットという呼び名はまだ定着していなかったのだろうか、Sくんは“同人誌即売会”と言っていた。
Sくんと同じバイト仲間で後に映画監督になった五十嵐匠という男と3人で連れ立ち昼メシに出ると、麹町にあったその会社の一本通りを隔てたところに奇妙な風体の若者達がいつも列をなして並んでいた。Sくんがアニメのセル画を売ってるお店で、そこに並ぶお客なのだと教えてくれた。ほとんどが10代後半に見える男の子達で、皆申し合わせたように中途半端な長髪で小太り、母親が西友で買ってきたような服を着ていた。誰もが初対面かその場で知り合った者達で、相手に「オタク、何処から来たの?」「オタクは何が好き?」と会話するのだとSくんは言った。1983年、タモリの『笑っていいとも』が始まった年のことである。