相変わらず生活のリズムが戻らない。早起き出来ないのは体調が悪いせいではなく、ただ単にズレているのだ。だから原稿書きをしていても、普段なら疲れ切って「イヤハヤもう限界」と思う午後9時頃から調子が出てくるのだから困ってしまう。早い時間から集中して仕事が出来て、自分の中の深いところまで入り込んでいければ、そこからポンッと抜け出した時には心地良く疲労していて、アルコールもそこそこにくたっと眠りにつくことが出来るのだけれど。
そもそも人間の身体と一日の24時間というサイクルそのものがズレでいるのだ、という説がある。そして、それを是正出来るのは幼い頃に受ける親からのしつけだけなんだそうだ。「子供は早く寝ろ」というアレである。しかし、例えば自分自身が学生時代ろくすっぽ勉強なんてしなかった親が子供に「勉強しろ」と言ってもまったく説得力を持たないのと同じで、規則正しい生活の出来ていない親に子供の生活サイクルを是正してやることは出来ない。昔から「子は親の背中を見て育つ」とはこの意味だ。
つまりそう考えていくと、「しつけ」「教育」というのはその家族、一族、民族の歴史であるということが判ってくる。我が家の場合、母方の家系は質素なサラリーマン家庭で現在も僕の知っている限り親戚はすべて規則正しく律儀な生活を送っている。70も半ばを越えたウチのオフクロも、兄一家と二世帯住宅で同居しているものの、食事は三度自分で作り朝は6時前に起き夜は10時に寝てしまうという生活を続けている。そのせいか、母方の家系はおしなべて長寿である。
一方、父の実家というのは毎晩のように近所の人達が集まって徹夜麻雀をやるような家庭であった。そのせいかどうかは知らないが、ウチの親父も仕事が無い時は午前中に起きるなんてことはまずなく、昼過ぎから夕方まで寝ていて毎晩大量のウイスキーを飲み、必要以上に脂っこい食事を好みそのせいで常に血圧が異常に高く、60を過ぎた時大動脈瘤破裂といういわば生活習慣病で死んだ。別に親が悪い、しつけがなってなかったということを言いたいワケじゃない。それが良い意味でも悪い意味でも一族の持つ歴史であり、自分の中に流れている「血」ということなのだ。
親からもらった身体と家族の歴史だけで生きていける場合は良いが、そうでなければ時前で修正していくしかない。僕の場合、30を過ぎた時「このままのやり方で残りの人生を過ごしていくのは無理だ」と感じた。「このままのやり方」というのは、徹夜を重ね大量の煙草を吸い、編集部やAV会社の床で寝て、毎晩のように酒場へ行くという生活だ。だから走る生活を始めた。だけど本格的に走るようになってから15年、ジムで筋力を鍛えるようになって5年、それでもまだまだ上手くいかない。自分の人生というものを、自分の思うように生きることは難しい。