死んだネコ達の夢を見ていた。場所はまた、あの15年前に取り壊したはずの川崎の実家だった。僕は二階のベランダにいて、台風で落ちた木の葉や小枝を掃除している。それらがあまりに多くてそのまま庭の方へ落として良いのか迷っていると、隣家の御夫婦もやはり屋根の上に乗って台風後の片付けをしていらして、「市の清掃の方が拾いに来てくださるので落として良いみたいですよ」と教えてくれる。しばらく作業して、大方片づいたので屋根にかけてある梯子で庭の方に下っていくと、雨樋のところにぎじゅ太が乗っていた。「何ンだお前こんなトコにいたのか」と抱き上げて降りた。「みャ太はどうした?」とぎじゅに言い、見回すとみャ太は庭の石灯籠の上にちょこんと乗っていた。二匹とも何故か半透明だったが、夢の中の僕はそれを不思議には思わない。ぎじゅは80%くらい透き通っていて、みャ太は50%くらだろうか。僕は二匹を両脇に抱きかえる。すると彼らは生きていた時より二倍ほどの大きさになっているのだが、実は彼らが大きくなったのではなく、僕が小さくなったのだと気づく。母親が玄関の方で掃除をしているようなので、そうだ、ネコを見せに行こうと思う。このネコ達、僕が大人になった時に飼っていたネコだよ、と。その時、僕は小学校三年生くらいになっていた。
眼が醒めると6時半だった。いつものようにiMacG4を立ち上げ、お茶碗二つに水を入れ、デスクトップに貼付てあるネコ達の写真の前に置く。「そうか、お前達、オレが淋しそうにしてるから夢に出てきてくれたのか」と言った。今朝は良い天気だった。ベランダに出て、洗濯物を干した。夏の匂いがした。