日曜日は朝5時に起きたと書いた。所用があり巣鴨へ行ったのです。基本的に、山手線で言えば池袋の向こう側にはまったく土地勘がなく、しかもかなりの疲労と睡眠不足だったのでボーッとしながらホームへ降りた。ところがその眠さと倦怠感が、遠い記憶を掘り起こした。そうか、凸版印刷へ行く通り道じゃないか? 僕は20代の半ば、とあるアダルト雑誌の編集長をしていた。編集者というのはとにかく忙しい。しかも若かったから、自分の能力以上の雑誌を作ろうとしていた。だから月刊誌を編集するのに、ひと月のうち20日以上会社に泊まり込んでいた。
さらに校了日(すべての入稿・校正が終わること)が近くなると、3日、4日と徹夜が続く。校正というのは、余裕があれば印刷所の人が出版社に校正紙を持って来てくれて、赤入れをして手渡して終了となるが、ギリギリになると出張校正ということになる。印刷所の校正室にカンヅメになって作業をするのだ。自慢じゃないが、僕は編集部で校正したことなんて一度たりともなかった。すべて出張校正である。印刷所は凸版印刷であり、工場は板橋にあったのだ。
巣鴨から都営三田線に乗り換え志村坂上駅下車。だからいつも3日4日徹夜が続いた朦朧とした頭でこのホームへ降り立っていた。巣鴨は目白駅なんかと同じように、線路が低い位置を走っている。だから白山通りに面した改札までは階段で昇る。当時はエスカレーターはなかった。疲労困憊した身体に、そのわずか十数段がとてつもなくキツかった。そして改札を抜け、三田線のホームまで今度は階段を降りていく。そんな倦怠感の中で階段を昇り降りするのはとても辛かったし、当時僕は1日3箱は煙草を吸う超ヘビースモーカーだった。徹夜が続くとさらに本数は増え、翌朝は頭がガンガンした。
志村坂上駅からも10分ほど歩いた記憶があるのだが、今GoogleMapで調べてみると、凸版板橋工場はその場所にはない。出版も印刷業界もあの頃とはまるで様変わりしてしまったから、当然と言えば当然だろう。けれど、辛かった当時の記憶まで一緒に消え去ってしまったようで、少し淋しい気がする。
※写真はそんな日曜日の朝、巣鴨駅のホームにて。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #ENCIEL