僕がアダルトビデオの監督をしていたのは1989年までだからもうかれこれ16年も前になる。でも、いまだに撮影の夢を見る。スタジオに入り、女優さんのメイクは終わり、照明さんがライトを組み上げ、助監督が呼びに来る。「監督、いつでもどうぞ!」と。しかし、僕は隣の控え室でシナリオが一行も書けてない真っ白な原稿用紙に向いエンピツを握りしめている、そんな夢だ。
今朝も同じような夢を見ていた。リアルな夢だった。僕は撮影に向かうワゴン車の助手席にいる。車は首都高のインターを入り、中央高速に向かうところ。当時よくロケに使った八ヶ岳のペンション・スタジオを目指している。運転席には同い年で気が合った制作の浅井という男がいて、ハンドルを手にしながら「監督、台本は?」と訊く。そうだ、ふだんは「東良さん」と言うのに、浅井は撮影になると律儀に「監督」と呼んだ。真面目な男だった。シナリオは一行も書けてない。僕は内心動揺しながらも「無いよ、浅井。今日は台本ナシでいく」と言う。浅井は「えーっ、無いって、スタッフにどう説明するんですか」と泣きそうな声を出す。
僕のいたメーカーはスタッフにピンク映画の時代からやっている熟練の技術屋さんを揃えていてとても厳しかった。高速の途中、サービスエリアの喫茶店に入るとベテラン照明マンの石部さんと眼が合った。この辺からはもう夢なのかウトウトとしながら考えていたのか区別がつかない。僕は「石部さん、今日は即興演出でいきますんでよろしく」と動揺を悟られないようにわざと元気に言い、その横では助監督の鶴見が「台本ナシでどうやって現場仕切れって言うンだよ」という怒った顔で僕を見ていた。
16年も経って尚消えない、あの頃のプレッシャーっていったい何だったんだろう。浅井にも石部さんにも鶴見にも、会社を辞めて以来一度も会っていない。共通の知り合いもいないので噂も聞かない。みんな何処かで生きているのだろうか? それこそ16年前のあの頃の方が夢か幻のようだ。
今日も朝からエンエンとテープ起こしをして、夕方気分転換にジムに行きトレッドミルで65分走った。汗だくになって着替え、急いで帰ろうとしたらクシャミが二つ出た。もう相当気温が下がっている。家に戻り風呂に入ってからまたテープ起こし。終わってTVをつけるとサッカーA代表の対ウクライナ戦をやっていた。日本は後半終了間際、何だかあまり納得出来ないファウルを取られPKを決められて負けた。ジーコはものすごく怒ってたみたいだった。