昨日から怠け続けているので、HDDレコーダーに溜まりに溜まったテレ朝系列の帯ドラマ『やすらぎの郷』をまとめ観している。とはいえやっと22話(現在35話)までだが。ご存じのようにこの作品には、日本を代表する老スターたちが大挙出演している。そして中でも、ひときわ眼を惹くのが八千草薫さんだろう。今のところ全出演者中、最年長。昭和6年(1931年)のお生まれというから御年86才。実はウチの母親と同学年である。おかげさまで我がオフクロも元気ではあるが、さすがにちょっとした物忘れはある。一方、八千草さんは画面で観る限り、かなり長い台詞もしっかりと入っておられるように思える。
ハイテク化されたこの時代だから、巧妙にプロンプターを付けるということも可能だろうが、少なくともカット割りで誤魔化しているようには見えない。しかも、倉本聰さんのシナリオ集を読んだことのある人ならおわかりだろうが、氏の台本には〈間〉〈長い間〉〈短い間〉といった特殊なト書きがあり、台詞にも「──」という表記が多く、中には「──!」という表現まである。つまり微妙なタイミングと間、会話のリズム、言葉にならない言葉が重要視されるのだ。ところがそういった絶妙な間やタイミングに至るまで、八千草さんは完璧だ。これはやはり、驚異的としか言い様がない。
ところで実はもうひとつ、八千草薫さんはウチの親父の初恋のひとであった。よく知られるように八千草さんは宝塚音楽学校のご出身。親父は同じ頃、大阪の旧制浪速高等学校というところに通っていた。学年も同じであった。美人揃いの宝塚音楽学校の中でも、当時から八千草さんは群を抜いた美少女で、電車通学する沿線の男子学生たちの、憧れの的だったそうだ。時は太平洋戦争末期、貧しく厳しい時代の中でもお洒落な人で、ピンクのリボンで髪を留めていた。そこで親父とその悪友たちは、ひそかに「ピンク」というあだ名を付けて呼んでいたという。
1993年に親父が死んで告別式のとき、旧制浪高時代のお友達が弔事をよんでくださったのだが、それは「今でも学校に着くなり、君が『おい、今朝はピンクと同じ車両だったぞ!』と眼を輝かせて言ったのを覚えているよ」と始まっていた。僕がその話を初めて聞いたのは1975年、高校2年だった。やはり倉本聰シナリオの名作『前略おふくろ様』の第2シリーズ、第1回と第5回に親父はゲスト出演している。『前略おふくろ様』は萩原健一演じる若い板前サブが、修業に励む日々を描いた青春ドラマだが、シーズン2の舞台は料亭「川波」。そこの元芸者の美人女将が八千草薫さんであり、親父は地元警察の課長という役どころであった。
僕は当時から倉本ドラマの大ファンだったから毎回欠かさず熱心に観ていたのだが、そのときオフクロが親父に向かって、「アナタ、初恋のひとと共演できてよかったわね」と、ちょっと皮肉交じりにからかったのだ。親父はめずらしく照れながら、「初恋の人っていっても、もうオバサンだからな」と失礼なことを言っていた。それにしても、計算してみると『前略おふくろ様』シーズン2のとき、親父も八千草さんも45才。僕はとっくにその歳を超え、親父が死んだ歳にさえあと4年と迫っている。あまりに長い時間が流れてしまったことに、ただ言葉を失うばかりだ。
倉本先生風というか、『北の国から』の純クン風に言うとこうなるだろうか。「父さん、母さんは少々もの忘れは多くなりましたが、元気です。そしてあなたの初恋の人は、今も可憐で美しく、気高く、上手く言えないけど、〈間〉、上手く言えません──」。
※写真は『やすらぎの郷』第4週より。八千草薫さん演じる、戦前から活躍する大女優・九条摂子、若き日の肖像。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #VIVID