昨日の夜は北尾トロ編集長による休刊中のインディーズマガジン、
『季刊レポ』の遅い新年会だった。この雑誌は発売直前、基本的に執筆者が一同に会して発送作業をするので、ほとんどの人がお互い顔見知りである。昨夜はそんなライター、カメラマン、イラストレーターといった人々が西荻窪のタイ料理店「ぷあん」に集まった。30人ほどだったろうか。そんな中で僕が『季刊レポ』に参加したのは遅く2013年初春に発売された号で、その前年、暮れも押し迫った12月29日、トロさんとヒラカツ副編集長こと平野勝敏さんに初めてお会いした。つまりは原稿依頼をして頂いての打合せだったのだが、当時の僕は鬱ひどくて苦しくて、文字通り這うようにして、当時住んでいたJR武蔵小金井駅近くのデニーズに向かったのを覚えている。
あの頃なぜ鬱になってしまったのか? それは文章を書く意味というものが、ある日突然自分の眼の前から消え去ってしまったからだった。モノを書くしか能のない、生きてて楽しいことのない僕にとって、それは恐ろしいほどの苦しみだった。だからもう職業としてのライターはやめてしまおうと考えていた。別の仕事を探して、違った生き方を探そうと思っていた。ただそのとき、どういう話の流れからか、トロさんが「でもさ、トーラさんしか書く人がいないことがあるんだからさ、それはトーラさんが書くしかないんじゃないかなあ」というようなことを言った。
北尾トロというのは不思議な人で、初対面でもまるで10年来の古い友だちのようなしゃべり方をする。端的に言えばタメ口なのだが、まったく横柄な感じには聞こえずむしろ心地よい。だから旧友に優しく諭されたようで、胸の奥がほっと温かくなるような気がした。そして一方の平野副編集長といえばその正反対で、僕は後にこの人の奥さんでやはり優秀な編集者であるK子さんとも仕事をさせてもらうようになるのだが、そのK子さん曰く「ウチのヒラカツさんって、女房のワタシが見ても、もう少し人とフレンドリーに相対した方がイイと思うのよね」というほど礼儀正しく丁寧な人である。
だからというわけでもないだろうが、そのデニーズでの打合せのときはトロさんだけがほとんどしゃべり、ヒラカツさんは僕の言うことに「ああ」とか、「ほう」と声には出さず時々大きくうなづくだけだった。ただ店を出る直前トロさんがお会計をしていると、ヒラカツさんが背後から小声でそっと僕に、「トーラさんが書いてくださるのは、僕はとても嬉しいんです。レポにとってもすごくいいことだと思ってます。だからいい原稿を楽しみにお待ちしています」と言ってくれた。先のトロさんの発言とヒラカツさんのこのひと言で、暗黒のようなココロに一筋の光が見えたような、そんな気がした。
しかし僕の「文章を書く意味を失う」病は癒えず、結局その年の春に僕は職業ライターを辞め、世論社のサラリーマン編集者になってしまうわけだが、夏が終わった9月、再びトロさんとヒラカツさんから声をかけてもらう。作家の本橋信宏さんと共著で本を作らないかという提案だった。それこそが2012年暮、デニーズでトロさんの言った「トーラさんしか書く人がいないことは、トーラさんが書くしかない」こと、つまり1980年代のエロ本文化についてであり、これは2014年秋には一度は校了しつつも版元の都合で発売中止になるも、それからまた一年ヒラカツさんが10社近い出版社にかけ合ってくれて、昨年11月に
『エロ本黄金時代』(河出書房新社)として無事一冊の書籍となった。
あの日、武蔵小金井駅近くのデニーズに北尾トロと平野勝敏が訪ねてきてくれなかったら、僕はおそらくあのまま物書きを辞めていただろう。そして『エロ本黄金時代』も世に出てないわけだ。トロさん、ヒラカツさん、ありがとう。もう付き合いも長くなって面と向かって言うのは恥ずかしいから、こうして日記に書いちゃったよ。ゴメンね。
※写真は昨日、公園の梅林。満開の白梅。data:iPhone6 #instaplus #Normal #CRT