twitterやFacebookなどで「#私を構成する9枚」というものが流行っているのでやってみました。作り方はコチラ→
<話題の「私を構成する9枚」の画像の作り方!おすすめアプリ>に詳しく説明されていました。コレ、「私を構成する」、というのがミソだと思うんですね。「私が好きな9枚」ではない。あくまで私という人間はこの9枚のアルバムで形成されている、成り立っている。この気持ちは、音楽を愛する人にはよくわかると思う。あのとき、このアルバムに出会わなかったら今の自分はないだろう、そんな想い。
そう考えていくと僕の場合まずはなんと言っても中段左、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのライヴ・アルバム『4ウェイ・ストリート<4 Way Street>』(1971年)。これを中学2年生の春に買うことがなければ、僕の人生はまったく違ったものになっていたと思う。まさに中2病の始まりでありました(^^;)。その隣、中央『追憶のハイウェイ61<Highway 61 Revisited>』(1965年)は、僕が初めて聴いたボブ・ディランのアルバム。これは中学3年の2学期、ダスティン・ホフマンにちょっと似た若い英語教師・F先生がその夏サンフランシスコに短期留学し、当時のアメリカ文化に徹底的に感化されて戻って来た。
そして「今、アメリカの若者はみんなボブ・ディランを聴いている!」と、授業の最後にポータブル・プレーヤーでラスト11分12秒の長い長い曲、「廃墟の街<Desolation Row>」を聴かせてくれた。下段右、RCサクセションを初めて聴いたのもやはり中2だったはず。地元のUHF放送・神奈川テレビ(TVK)で「ヤングインパルス」という公開番組があり、3人編成だった頃のRCがレギュラー出演していた。同級生のOくんとTくんと一緒にすぐさま影響されまくり、僕らはRCと同じフォークトリオを組んだ。確か1stの『初期のRCサクセション』は、現在北海道で獣医さんをやっているOくんが持っていたので、僕はこの2nd『楽しい夕に』(1972年)を買ったのだと思う。
その左隣、下段中央、ウォッカ・コリンズを知ったのも同じ頃だ。日曜お昼の情報番組『リブ・ヤング!』だった。この番組はアマチュア時代のキャロルが登場したことで有名だが、そこから桑名正博のファニーカンパニー、加藤和彦のサディスティック・ミカ・バンドが話題になって、ロックンロール・リバイバル・ブームが始まる。ただし、このアルバム『東京─ニューヨーク<Tokyo-New York>』(1973年)はリアルタイムでは買ってない。おそらくあまり売れなかったのではないか? すぐに入手不可能になってしまい、大学生になってからバイト仲間のお姉さんが持っているというので借りてカセットに録音した。と、すべてについて書いていくとキリがないので他のアルバムに関してはまたいずれ。
※ちなみに本文で触れなかった作品は、上段左からはっぴいえんど『風街ろまん』(1971年)、グレイトフル・デッド『ライブ・デッド<Live/Dead>』(1969年)、アル・クーパー『アイ・スタンド・アローン<I Stand Alone>』(1969年)、中段左ジャクソン・ブラウン『レイト・フォー・ザ・スカイ<Late For The Sky>』、下段右『ケルン・コンサート<The Köln Concert>』(1975年)。アプリ「MOLDIV」で作成。