7時起床。昨日書いたように、
『RHAPSODY NAKED』をiPhone6に入れて聴きながら走る。昔のことを色々と思い出した。僕が生でRCサクセションを観たのは遅い。確か大学2年生くらい、日比谷野音で行われた、上田正樹とサウストゥサウスの一日限りの再結成に合わせたジョイントコンサートだった。「遅い」と書いたのは、もうRCの人気が圧倒的に盛り上がってからだと思い込んでいたからだ。しかし、またもやインターネットというのは便利なもので、そのサウスとのジョイントライヴのタイトルと日付は、検索したらすぐに判ってしまった。コチラ→のブログによると
「Sweet Soul Show 1980.10.26.日比谷野外大音楽堂」であったという。
他にも資料を当たってみると思い違いというか、発見があった。『RHAPSODY NAKED』に収録される初のワンマン・ホール・コンサートが久保講堂で行われたのが1980年の4月5日。そしてアルバム『RHAPSODY』が発売されるのが6月5日。だから実は5ヶ月弱しか経っていない。つまり僕が遅かったのではなく、RCの人気のヒートアップぶりが異様なスピードだったのだ。そしてシングル「トランジスタ・ラジオ/たとえばこんなラヴ・ソング」が発売されのが「Sweet Soul Show」と同じ10月26日だという。そうだった、清志郎さんが「新曲だぜ!」と言って歌い出したのを覚えている。
もうひとつその時のライヴで驚いたのは、僕らは野音の後ろの方の席(友達と5、6人で行った)にいたのだけれど、清志郎さんがMCの流れで「だけどさ──」と言うと、ステージ前にいた200〜300人くらいの連中が声を揃えて「いい事ばかりはありゃしないッ!」と次に演奏される曲名を絶叫したことだった。『RHAPSODY NAKED』だと清志郎さんが「だけどさ」と言うと、チャボさんが「いい事ばかりはありゃしない」と声を合わせてシャウトするだけで、観客たちは叫んでいないように聞こえる。つまりこの1980年のひと夏だけで、そんなファンとRCのコール・アンド・レスポンスが「お決まり」になったということなのだろう。
ちなみに清志郎さんのオフィシャルHP「地味変」によれば、翌1981年5月の<日比谷野外音楽堂2日間公演「Please Rock Me Oot」は即日完売>とある。当時は今からすると信じられないくらいに情報がなかった。だからその「Sweet Soul Show」のことも、友人の誰かが何処かから情報を仕入れてきてチケットを取ったのか、あるいは当日券で入れたのだろうか。それも実はけっこう幸運なことだったのかもしれない。
※写真左は1983年ロッキング・オンから出た写真集。撮影はおおくぼひさこさん。右はそのおおくぼさんがご主人のチャボさんを撮ったプライベート写真集『MR. & MRS.』(河出書房新社刊・1986年)。data:iPhone6 #instaplus #Velvic #RVP100