ボブ・グリーンの『アメリカン・タイム』、その第1章「ブルース・スプリングスティーン現象」には、<5枚組ライヴ、『The "Live" 1975-1985』の発売は1986年の11月10日。>とある。日本でのリリースが同時だったかは判らないが、やはり冬だった記憶がある。CBSソニーからデビューするロックンローラー、
鬼頭径五の仕事の話があったのは、そのちょうど1年後くらいではないだろうか。1stアルバムの『BLACK BOOTS』が1988年の作だから、おそらく87年の秋頃からレコーディングが始まり、年が明けてリリースとなったのだと思う。それに合わせてA2のポスターを作った。裏側を4面に割って、折りたたむとA4版の小冊子になるようにした。発売に合わせてプロモーション・ツアーが始まり、同行した。
鬼頭径五のアルバムのヴィジュアルは、三浦憲治、井出情児、佐藤ジンという日本のロック・カメラマンを代表する錚々たる人たちが撮っていたのだが、さすがにツアーにまでは同行出来ないので、僕が撮ることにした。ギャラはほとんど出なかったが幸せな仕事だった。ボブ・グリーンはその著書の中で、若い頃アリス・クーパーやフェイセズのツアーに記者として同行したことを書いている。スケールはかなり違うが、気分は同じだった。同時に並行してAVを本格的に撮りだしたこともあり、キャノンの
〈VM-E708〉という8mmビデオカメラを買い、写真を撮りながら廻した。2ndアルバム『LOW DOWN GAMBLER』が出た時、それらをまとめて「Train」というプロモーション・ビデオにした。
世界的にMTVの時代、どのミュージャンも豪華な機材を使い、贅沢なロケセットで華麗なロック・フィルムを撮っていた。当時は本当に画質の悪かった8mmビデオで実にローファイなPVを作ったのは、たぶん僕が初めてだったと思う。以前にも書いたけれど、当時僕はソニーのβマックスしかビデオデッキを持っていなかったこともあり、現在その「Train」のテープは手元に無い。AV、PV合わせて、自分の中ではどれよりも思い入れの強い作品だ。以前やはり僕の撮った、田中一郎さんの
「ミッドナイト シャッフル(Midnight Shuffle)」がYouTubeにアップされていたことを書いた。「Train」も、どなたかが上げてくれることをコッソリ願っている。まあ、色んな権利関係があって難しい部分もあるだろうが。ちなみに鬼頭くんとのツアーは1989年の初めまで続いた。つまり、「The "Live" 1987-1989」というわけだ。
※写真は鬼頭径五2ndアルバム『LOW DOWN GAMBLER』(1988年・CBSソニー)、インナー・スリープより。data:ニコンFA、ニッコール24mmf2.0、Kodak・TRI-X400を1600に増感。