6時起床。快晴の冬空。112分走る。戻ってからお風呂の中で、ロバート・B・パーカー
『過ぎ去りし日々』を読む。11級程度の小さな写真植字、文庫版で550ページある。現在470ページと少し、今年中には読了するはず。年の終わりに読むには最適な小説だと思う。アイルランド移民のアメリカ人、親子3代にわたる年代記。祖父のコン・シェリダンはIRAの闘士であり、1920年、独立運動の戦闘で負傷し、アイルランドにシンパシーを保つ美しいアメリカ人女性、ハドリ・ウインズロゥに偶然助けられる。二人は運命的な恋に落ちるものの、ハドリは人妻だった。一方コンはすべてにおいて情熱的な男だったが、後に〈血の日曜日〉と呼ばれる事件の渦中で一人のイギリス人秘密諜報部員を暗殺したことをきっかけに、闘争への意志を失う。そこでハドリを誘い、駆け落ちして新天地を目指すことを提案する。
先に「すべてにおいて情熱的」と書いたけれど、コン・シェリダンの情熱はあまりに執拗で揺るぎない。下手をするとストーカー的とも言える。脅えたハドリは彼をイギリス軍に密告し、コンは投獄される。やがて10年の歳月が経ち、コン・シェリダンは密かにアメリカへと渡り、ボストンで警察官になっていた。そしてある事件に遭遇する。12才の少女が死体となって教会で発見される。彼女は殺される前にレイプされ、尻を噛まれた跡があった。ひとりの若者が容疑者として浮かび上がる。名門ハーヴァード大学に通う金持ちの子弟、トマス・J・ウインズロゥ2世。いかなる運命の悪戯か、かつてコン・シェリダンを裏切った、ハドリ・ウインズロゥの息子であった──というのが物語の発端。探偵スペンサーを主人公にしたシリーズでベストセラー作家になったロバート・B・パーカーだが、単発の作品にも名作が多い。
初期、〈究極の冒険小説〉とも言える『銃撃の森』(1981年)、そしてやはり〈究極の恋愛小説〉である『愛と名誉のために』(1984年)もそうだ。両作に共通するテーマは、「男は人生において大切なものを失った後、いかにして生きていくか?」ということである。失ったもの──前者においては「プライド」であり、後者では「女」だ。そして彼らは無くしたものの代わりに「規範」を身に付ける。自らを律する揺るぎないルールである。『過ぎ去りし日々』にはコン・シェリダンの孫、クリス・シェリダンが作中こう語る場面がある。「きみたちワスプは、問題は結果だ、とつねに考える。そうじゃない。問題は、自分がどういう人間か、という点だ」と。つまり「何のために生きるか」ではなく、「いかに自らにとって正しく生きていくか」を信条とする。それは現代における騎士道であり、彼らにとって真に英雄的な生き方なのだ。
結果『銃撃の森』の主人公アロン・ニューマンも、『愛と名誉のために』のブーン・アダムスも、最終的には勝利を手にするわけだが、果たして『過ぎ去りし日々』ではどうか。コン・シェリダンも、その息子ガス・シェリダンも、ある意味では負け続ける。恋に破れ、結婚生活に疲労し、警官としては汚職にまみれ、ただ一点「自分としていかに正しく生きていくか」だけにすがりつく。三代目クリス・シェリダンは父と祖父が失ったものを回復出来るのか、真に英雄的な人生を歩むことが出来るのだろうか? 残り、80ページと少し。
※写真はロバート・B・パーカーの3冊。いずれもベストセラーなので、Amazon.co.jp の古本では1円。ブックオフ等ではおそらく100円で買えてしまうのが少し悲しい気もしますが(^^;) data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。