人生に何度もないことだが、あまりに悲しいことがあった後、何より辛いのは朝起きた時だ。決して忘れているわけではないのだが、眠りに落ちている間はどうしても現実感が薄れる。そして眼が覚めて頭がはっきりして来るに従って理解する。昨日のことは夢ではなかった、この世界で本当に起こった出来事なのだと──そう思い知らされるのだ。特に今日のようにやり切れないほど爽やかな朝には。寝室から仕事部屋まで足を引きずって歩き、iMacの前に座る。そしてYouTubeでアメリカの
「ヴェンチュラ・ハイウェイ〈Ventura Highway〉」を聴いた。あれは2006年の夏、約10年振りに丹波篠山を訪れた時、亡くなった友人の家に泊めてもらった。篠山の夏はひどく暑いが、朝夕はとても爽やかだ。部屋にはおそらく彼が中学生くらいの頃から使っているものだろう、古いレコードプレイヤーがあり、この曲の入っているアルバム『ホームカミング〈Homecoming〉』のアナログ盤が無造作に立てかけられていた。1972年の作品である。
「古いレコード、今でも大事に持ってるんだなあ」と僕が感心すると、「いやいや、昔持ってたのはとうに手放して、最近中古で買い直したんや」と言った。「やっぱりLPはエエで」と笑ったのだ。そして丹波の風が気持ち良く吹き抜けるその部屋で、僕らはこの曲を二人で聴いた。ところでアメリカというグループは、実は60年代の終わりにロンドンで結成されている。メンバーのジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークという3人の若者はアメリカ人だが、全員の父親がイギリスに駐留していた米国軍人だった関係で、彼らはその地で育ったのだ。高校生の頃から当時のスーパースター、クロスビー、スティルズ、ナッシュ&ヤングに憧れ、両親の故郷を夢見て音楽を作った。だからバンド名を「アメリカ」としたのだ。故に彼らの曲はこの「ヴェンチュラ・ハイウェイ」を初めとして、「河を渡るな〈Don't Cross The River 〉」「名前のない馬〈A Horse With No Name〉」とまるでアメリカ合衆国の風景そのものだが、実はそれは遠い土地であり憧憬であったのだ。
僕と友人は20才の時に出会った。それまでは川崎郊外と兵庫県の丹波篠山と、500キロ以上も遠く離れて暮らしていた。当然その存在はまったく知らないままに、である。けれど、僕たちは同じ音楽を聴いていた。同じものを見ていた。同じ世界を共有していた。それはまだ見ぬアメリカであり、空想上の、憧憬としてのアメリカだった。もちろん当時からそこには人種差別がありベトナム戦争があり、ドラッグや犯罪の問題があった。でも僕らはそういった荒んだ現実の向こう側にある何かを見ていたのだ。それは常に良きことであり美しいことであり真実であり、いつか自も必ず手にすることが出来ると信じて疑わなかった。それが、我々にとっての「音楽」だった。「ロックンロール」だった。僕らが見ていたあの風景は、いったい何処へいってしまったのだろう? 今頃は友人が経営し、「夏の兄弟達」の拠点となったスタジオで、仲間達による通夜が執り行われているはずだ。僕はひとり東京にいて、この日記を書いている。悲しい。悲しくて悲しくてどうしようもない。でもその世界は本当に消え去ってしまったのだろうか。ただ今は少し涙で曇って見えにくいだけだと、そう信じていたい。