早朝より原稿書き。夕方より外出。神保町にて『季刊レポ』副編集長「ヒラカツさん」こと、平野勝敏氏と会う。レポでこの先書かせてもらいたいことや、平野さんはフリーの編集者でもあるので、今後ご一緒出来る仕事があれば、という話などをご相談させてもらう。雑談も色々(いや、そちらの方がメインだったか?)。何しろ僕らは同い年なので、活字や音楽体験などがすべてかさなる。ちなみに北尾トロ編集長も学年的にはひとつ上だが同じ1958年生まれ。昨年末『季刊レポ:11号』ライター特集の原稿を依頼してもらった際もヒラカツさんを交え会ったのだが、その時僕が何気なく「『漫画アクション』のアクション・ジャーナルが・・・」と口走ると、トロさんはすかさず「ああ、
『論よりコラム』ね」と答え、イヤハヤ同世代、打てば響くというか、何の説明も要らないんだよなあ、と思ったものだ。
ちなみに〈アクション・ジャーナル〉とは『漫画アクション』に1979年から1989年の約10年間連載されていた活字ページで、阿奈井文彦、関川夏央、呉智英、村上知彦、山口文憲といった錚々たる名文家たちが無署名で書いていた名物コラムである。イラストレーションは南伸坊、レイアウトは日下潤一。それを一冊にまとめた単行本が『論よりコラム』だ。今日も「そう言えばトーラさん、昨日の日記で阿奈井文彦さんの本のこと書かれてましたね」とヒラカツさん。「ええ、大ファンで年に一度は読み返すんですよ」「ボク、仕事でお会いしたことがあります」「うわっ、そうなんですか、イイなあ。ボクは10代の頃、阿奈井さんと
高平哲郎さんを読んで(←お二人とも70年代の『宝島』に執筆されていた)モノカキになりたいなー、と思ったんですよ」などと話した。
場所は女性が二人でやっておられる静かなお店で、後から聞いたらママさんは高名な文芸評論家の奥さまなのだとか。お客さんも出版に関わる人ばかりで、離れたカウンターに座っておられたお一人が不意に近づいて来て、「あのー、高平さんのお名前が聞こえたので、コレ、私の作った本です。よろしければお持ちください」と
『植草甚一コラージュ日記 東京1976』(平凡社ライブラリー)をもらってしまう。名刺を拝見すると平凡社のエライ人であった。その方がぜひにと依頼され、高平哲郎さんがあとがきを寄せておられるのだ。帰りの電車の中でさっそく読む。最後に〈僕は植草さんとはジャズと映画に関しての会話しかできなかったけれど、教わったことは多い〉とあり、それは〈「したくないことをしない自由」と「リラックスして生きること」──その二つだけで十分すぎる〉と結ばれている。僕が阿奈井さんや高平さんから教わったのもそれだった。
※トーラミキも執筆しております
『季刊レポ:11号』は売れ行き好調とのこと。残り50部を切ったそうです。お求めの方はお早めに。なにとぞよろしくお願い致しまする。