32才の新鋭・島田隆一監督によるドキュメンタリー映画
『ドコニモイケナイ』が、第53回日本映画監督協会新人賞を受賞した。この作品に関しては
去年の10月5日の日記に書いた。2001年、日本映画学校(現・日本映画大学)でドキュメンタリーを学ぶ20才の学生だった島田青年とその友人2人は実習作品を制作するにあたり、渋谷に集まる若者達をテーマにしようと考える。そしてカメラと録音機材を手に終電前の渋谷に通い、路上の若者達を取材するうち、吉村妃里という19才の少女と出会う。彼女はミュージャンを目指して博多からヒッチハイクで上京し、深夜のハチ公前でアカペラを唄い似顔絵を描いていた。その生き方と存在に強く惹かれた島田達は、彼女を主人公に据えて映画作りを始める。けれど幾つかの出来事と困難があり、妃里はやがて精神を病んで世田谷の松沢病院に入院。そして故郷の佐賀へと帰ることを余儀なくされる。統合失調症というシリアスな病であった。
映画は未完のまま終わり、彼らは学校を卒業しバラバラになる。しかし島田隆一だけは企業VPの制作や映画の助監督等を務めながらも、残されたVTRにこだわり続けた。いやあきらめ切れなかった、あるいは忘れることが出来なかったのかもしれない。そして約10年の時を経た2010年、彼はもう一度カメラを携え佐賀へ赴く。そして再び、吉村妃里の今を撮り始めるのである。この作品に描かれるのは、最初から最後まで徹底して青春の残酷さだ。救いのない現実だ。大人達は、世の中は若者達に言う。「夢をあきらめないで」「ナンバーワンになれなくても、オンリーワンにはなれる」と。でも、夢なんて叶わないしオンリーワンにすらなれやしない。槇原サンの作ったあの唄はいい曲だとは思うけれど、それでも多くの若者が、大抵は誰かと似たような人生しか歩めないのだ。
ただ、作品を通して伝わって来る島田隆一の映画への立ち向かい方には、ゆるぎない誠実さがあった。それだけは痛いほどにひしひしと伝わって来た。そして10年経っても病気が完治せず、いまだ苦しみの消えない吉村妃里もまた、潔いほどにひたむきだった。それが最初から最後まで悲しく切ないこのドキュメンタリーに輝く、たったひとつの光だった。何しろ絶望的に救いのないこの国、バカバカしいほどに虚しい幻の10年を生きぬくには、もう才能も狡猾さも、世渡りの上手さでさえ役には立たないからだ。劇場公開にあたり、僕は島田監督から依頼されたパンフレットの最後にこう書いた。〈もしもこの世に映画の神様がいるのなら、吉村妃里と島田隆一にこう語りかけるのではないか。「あなたが傷つき泣いて挫折した道のりこそが、あなたの希望だったのですよ」と。〉──映画の神様はいた。本当にいた。若者達を優しく温かく、決して見捨てることなく静かに見守っていたのだ。島田監督、吉村さん、おめでとう!
※『ドコニモイケナイ』の第53回日本映画監督協会新人賞を伝えるニュースサイトはコチラ→
〈第53回日本映画監督協会新人賞を受賞 島田隆一さん(32)〉産経ニュース、
〈日本映画学校OB島田隆一監督が第53回日本映画監督協会新人賞を受賞しました。〉日本映画大学HPより。