窓の外は今日も真っ白だ。雪はとうぶん残り続けるだろう。少し前にNHKのニュースを観ていたら、スキー人口が年々減り続けていると言っていた。しかもそれはスノーボードをやる人も合わせてのことだという。ピークは1995年、おりしも広瀬香美さんの「ゲレンデがとけるほど恋したい」がヒットした年だそうだ。僕が最後にスキーへ出かけたのはその2年前、1993年の3月である。2泊3日で野沢温泉へ行った。3日間雲ひとつない快晴だった。12才から滑り始め、大学を出て編集者になりAV監督になったりで殺人的な忙しさだった頃は別として、1シーズンに最低1回はスキー旅行にいった。でもそこまで晴れ続けたのは初めてだった。顔が真っ赤になるほど日焼けし、ゲレンデのショップで薬用ローションを買わねばならないほどだった。
3日目の夕方まで滑って、帰りに戸狩野沢温泉駅近くの居酒屋で軽く飲み、我が家に辿り着いたのが終電近く。倒れ込むようにして寝て、翌早朝に義姉からの電話で起きた。そして、東大病院に検査入院していた親父が死んだことを知らされた。だから通夜と葬式にはサングラスの日焼け跡のついた、マヌケなパンダみたいな顔で列席するはめになった。だからというわけじゃないが、それ以来一度もスキーには行ってない。ところで人が死ぬと告別式の送辞などで、「向こうには誰々さんもいるので」とよく言う。いささかロマンチック過ぎるとは思うものの、今頃大島渚監督がうちの親父だけでなく、田村孟さんや石堂淑朗さん、佐藤慶さんや渡辺文雄さん、そして若松孝二監督らと「やあやあ、久しぶり」と言いながら一杯やっておられたらと願いたい。
※写真は本日午後2時頃。仕事場の窓を写す。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。