5時半起床。6時半過ぎよりjog。この先11月、12月は先が見えないので、今は「走りだめ」という感じ。本日は一日中取材のテープ起こし。深夜になって昨日、一昨日放送分のNHK連続テレビ小説『純と愛』を観る。この一週間は愛クンの家族とそれを取り巻く状況がいよいよ明らかになり、それはまあ恐ろしいほどに絶望的で、土曜日のラストでやっと二人が結ばれたのはいいのだが、同時に「世界に信頼しあえる人はお互いだけ」という実に哀しい恋愛物語となって来た。それにしても若村麻由美演じるあのお母さんは強烈だったな。ほとんど大映テレビのノリである(涙)。それでも何とか朝ドラとして成立しているのは、純という女の子のキャラクターが何処までも前向きだからだろう。これはもちろん、演じる夏菜ちゃんの存在感ゆえでもある。
10代の終わりに岸田秀さんの
『ものぐさ精神分析』を読んだ。この本は僕の人生を変えてしまうほど衝撃的だったのだが、中でも驚いたのは、人間の有り様とは親や兄弟との関係と否応なく強く結びついているとされることだった。精神分析の世界では愛クンの家庭、待田家のような例は決して珍しくはない。家族のうち一人が死んでしまえば、当然バランスは崩れる。悲劇から立ち直れずバラバラになってしまうこともある。もっと驚いたのはこれもある意味待田家と似ているが、逆に一人をスケープゴートにして家族が何とか生き延びているという場合もあるらしい。たとえば身内にひとり札付きの不良がいたとする。子供の頃から犯罪を繰り返し、少年院に入るような。両親も家族も心の底からそれに悩み苦しんでいたとしても、彼が刑期を終え社会に戻り、立派に更正し始めると今度は何故かまともだった家族の方がおかしくなってしまう。
父親が鬱病になったり母親がキッチンドランカーになったり、他の兄弟姉妹が犯罪に手を染めてしまうとか。結局のところ、人間というものは鏡がないと自分の姿すら見ることが出来ないように、第一の他者としての親兄弟なしに自らのアイデンティティを確立出来ない。そもそも何とも頼りなく不安定で、孤独な存在だということだ。