お母ちゃん、糸子先生が亡くなった──NHK朝の連ドラ『カーネーション』のお話であります。いやしかし、僕も含めて観ている人は主演がオノマチちゃから夏木マリさんに代わり、特に糸子先生が90才を越えてからは、「えっ、ひょっとして?」「でもまさかね」と思っていたはずだ。だって、語り手でもある主人公が死んでしまうなんて、NHKの連ドラ史上今まであったのだろうか?(僕の場合『ゲゲゲの女房』から観始めた初心者なので判らない)。3月20日の日記で、「物語は『老い』というものを正面から捉えることになるのだ」と書いた。しかし「老い」から逃げずに真正面から捉えるということは、取りも直さずその先にある「死」までを視野に入れるということだ。つまり脚本家の渡辺あやさんにしてみれば、ヒロインの死まで描くのは、ごく当然のことだったのだろう。
まあ、予感はあったワケです。いや「予感」というのは観ている者の気持ちなだけで、作者からしてみれば巧妙に計算された「伏線」だ。尾野真千子さんが最後に糸ちゃんを演じた回のラスト、だんじり祭りの夜。通りが見渡せる二階の窓辺で、ほっしゃん。演じる北村とお酒を飲みつつ語る場面があった。あの時「お前、これから寂しいで。どんどん周りの人は死んでいくんやでぇ」と言う北村に、糸ちゃんは「アホか。ウチはそういう悲しさも寂しさもぜぇ〜んぶ受け入れて生きていくんや」と答えるのだ。そして伏線と言えばもうひとつ。ロンドン在住の三女・聡子(安田美沙子)の元に、長女・優子(新山千春)から母の死が知らされる時、聡子の相棒でオネエな黒人青年・ミッキーが「今日はマザーズ・デイよ」と言う。そしてやっとのことで出棺に間に合った聡子の手にはカーネーションがあって、「イギリスでは、昨日が母の日やったんやで」とお棺に横たわる母の胸に抱かせる。
そもそも糸子先生が洋裁を目指したのは、ミシンを扱い洋服を颯爽と着こなすモダンガール、根岸先生(財前直見)の影響だった。そして根岸先生が女学校を辞めて間もない糸ちゃんに訊く。「あなた、好きな花は何?」「カーネーションです」、というわけでタイトル自体が大きな伏線でありテーマであり、そして小原糸子(=小篠綾子さん)という女性の生き方であり哲学であったのだ。うーん、今さらながら、すごいシナリオだなあ。さらに、3月20日の日記には「老後は決して後日談ではない」とも書いた。つまり渡辺あやさんは、本当の後日談は本人が亡くなった後だと言いたかったのではないか? そしてラストは小篠綾子さん自身が常々NHKの集金人が来るたび、「なあ、ウチの話、ドラマになれへんか?」と尋ねていたという──その夢が叶う、粋でメタフィクショナルなエピローグとなるわけだ。