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昨日の続き──10日ほど前だったろうか、未知の方からメールを頂戴した。こんなふうに毎日飽きもせず日記を書いているのは、決して「ひとりごと」を言いたいからじゃない。届くかどうかは別として、誰かに何かを発信したいと思っているので、お便りを貰えるのはとても嬉しいし、決して珍しいことではない。ただ、件名が〈『追想特急』を拝見しました。〉とあるのが気になった。こちらはもう、2年以上休眠中なのだ。しかもその方は、2004年10月「金子さんのこと、菊地さんのこと」という、中でも特に古いエントリについてのお便りをくださったのだ。出来れば上にリンクした文章を読んで頂きたいのだが、映画『竜二』を製作主演し、公開直後に亡くなった金子正次と、彼の親友であり同作品にも出演した、役者で歌手の菊地健二について書いた。
金子正次の一周忌が近づこうとしていた頃だった。僕は昨日の日記でも触れた親友のK(『追想特急』では本名の小林広司と書いている)から連絡を貰う。「ライブをやりたいという役者の人がいるので、俺達でバックバンドをやろうぜ」という内容だった。それが、菊地健二だった。場所は幡ヶ谷にあったライヴハウス「よし田」。持ち主は『竜二』の初代監督だった吉田豊氏。同作の印象的なラストシーン、竜二と、幼い娘の手を引いた水島暎子演じる妻が別れる、あの坂道の近くにあったと記憶している。そしてメールをくれた方はこう書いていた。「私は1985年9月、幡ヶ谷の「よし田」で、菊地健二氏とグーススキンのライブ演奏を聴いた者です」と。グーススキンウイスキーというのが、学生時代からやっていた僕らのバントの名前だった。金子正次と映画『竜二』は語り継がれているものの、菊地健二のことはあまり知られていない──そう思って検索したところ、僕の文章に辿り着いたのだという。 しかも彼女はひなゆきさんという名で音楽活動をしている人で、少し前高円寺の〈グッドマン〉というライブハウスで弾き語りをした時には、菊地健二と僕らが26年前「よし田」で演奏した曲、「待ってろよ、待ってろよ」を唄ったという。「待ってろよ」とは、金子正次が生前好んで使った言葉だった。「今にみてろよ、いつか俺は誰からも注目される男になってやるからな」という意味だ。先に「よし田」のオーナーは『竜二』の初代監督、吉田豊と書いた。自主映画として始まったこの作品は、資金繰りからして紆余曲折があり、結局吉田氏は途中で降板、プロデューサーだった大石忠敏が「川島透」と名前を変え完成させる。しかし出来上がったものの尚、配給会社探しに奔走していた金子は、あの幡ヶ谷の坂道、通称6号通りで吉田と再会する。彼はその時も、「映画で男になってやるぜ」と口にしたという。この辺りのことは生江有二によるノンフィクション、『竜二〜映画に賭けた33歳の生涯』に詳しい。 それはともかく、ひなゆきさんは何故、あれ以来、おそらくほとんど演奏されたことのない「待ってろよ、待ってろよ」を覚え、唄ったのだろう。菊地健二はそのライブをやった僅か3年後、まるで親友の後を追うように亡くなってしまう。彼は自身の作品をレコードやCDとして一切残さなかったはずだ。しかしひなゆきさんは菊地のその他の曲名から、あの夜彼が黒いカンフー・スーツを着て唄ったこと、僕らのバンドにドラムやサックスが入っていたことなどを鮮明に記憶していた。お礼のメールを出すと返信が来た。当時彼女は幡ヶ谷から一駅先の初台に住み、「よし田」には偶然足を踏み入れ、その後2、3度通ったという。そして菊地健二のライブのことを知り、当日はラジカセを手にして店に行き、録音したのだという。 僕自身でさえ、1985年にやったその演奏、そして菊地健二によるオリジナル曲についてほとんど覚えていない。ひとつには10月26日の日記にも書いた『ボディプレス』の創刊が同年の10月(12月号)。マイナーなヌードグラビア誌とは言え、恐ろしいほど忙しい時期だった。きっとライブの後はその余韻に浸る暇もなく、日常に戻ったのだと思う。菊地さんを含めバンドのメンバーと集まって、当日の録音を聴くという機会もなかったのではないか? いや、そもそもあの日我々のうち誰か一人でも、演奏を録音していた者はいただろうか。菊地健二が亡くなり、バンドリーダーだったKも3年前に死んでしまった今、それは知りようもない。けれど、まったくの偶然に一人の女の子──メールには「私は初台の6畳一間のアパートでひとり暮らしをはじめたばかり」とある──が録音し、繰り返し聴いて、しかも今尚自身で唄ってくれている。これを奇跡と呼ばずに、いったい何と言おう。 昨日の〈Next Sunday〉、ひなゆきさんはすらりと背の高い、ほっそりとした美しい女性で、赤いドレスを着てギターを弾き、そしてピアノに向かい唄っていた。バックにはコントラバスとアコースティック・ギターにハーモニカ、そしてエレキのスライドギターという編成。MCで「詩を書いていた時期も長かった」と語られて、特に矢野誠さんとコラボレーションしたという、「綾鼓」というポエムリーディングに近い曲が印象的だった。音楽を聴いていて映像が浮かぶような、かつて70年代、アートシアター新宿文化辺りでATG映画を観ていた、その瞬間にタイムスリップするような、そんな気がした。そして、ひなゆきさんが高円寺の〈グッドマン〉で唄ったという「待ってろよ、待ってろよ」のYouTube動画も教えて頂いた。 僕は「金子さんのこと、菊地さんのこと」の最後に、松田優作さんの『ブラックレイン』をも含めて、「人は死んでも映画は残る。それだけが唯一の救いだけれど、同時に希望でもある」と書いた。金子正次は『竜二』が未だ語り継がれ、最近でも松本人志や千原ジュニアが「好きな映画」と発言している。先に挙げた生江有二氏の名著もあり、それを元に高橋克典主演で『竜二Forever』という映画も作られた。それに比べ菊地健二は、俳優としての魅力も歌い手としての才能も輝かせることが出来ぬまま、無名の存在として死んだ。けれど、希望はここにもあったのだ。菊地健二はその才能とは裏腹に、報われぬまま死んだかもしれないが、彼の唄はしっかりと生きていた。そしてこれからも、生き続けていくと思う。
by tohramiki
| 2011-10-30 12:57
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