昨日に引き続き、
『サッド・カフェでコーヒーを〜北中正和のロック地図』を読んでちょっと思い出したことなどを。「テクノロジー時代のノアの方舟」という章があり、そこではあの時代“プログレ・ハード”と呼ばれていた、カンサス、ボストン、スティックスというグループについて語られている。初出は『ニューミュージックマガジン』1979年1月号。確かに当時、この手のやたら演奏テクニックに長けて耳障りだけが良く、エレクトロニクスを多用した無味乾燥なバードロック(ファンの人がいたらごめんなさい、涙)が流行っていた。それはともかく、カンサスの「伝承」という曲の歌詞が紹介され、「(この曲は)映画『幸福の旅路』の主題歌になったものだ」という一文がある。
今、データベースを引いてみると、『幸福の旅路』の日本公開は1978年4月とある。僕の記憶だとこの映画は、前評判は良かったもののあまり客は入らず、短い上映期間で打ち切りになったような気がする。未だDVD化もされておらず、言わば忘れ去られた映画だ。そんなわけで僕も公開前から期待しつつもロードショーでは見逃して、名画座にもさほどかからなかったのか、後に東京12チャンネル(現・テレビ東京)の深夜映画で観た。物語はベトナム戦争で身も心も傷ついた主人公が、戦地で交わした「無事、祖国に戻れたら一緒にミミズの養殖をやろう」という約束を元に、かつての戦友を訪ね歩くというロードムーヴィーである。つまり典型的なアメリカン・ニューシネマなのだが、要するに時代が少し遅すぎたのだろう。それはともかく──、
このストーリー、何かに似てませんか? そう、『フォレスト・ガンプ/一期一会』に同じようなエピソードがある。トム・ハンクス演じるフォレストは、ベトナムで親友となる黒人青年・ババと出会う。ババの家は代々続くエビ養殖業者だ。二人は無事戻れたら一緒にエビで一儲けしようぜと約束する。しかし、ババは銃弾に当たりあえなく死ぬ。そしてフォレストは両脚を失ったダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)と共にババの故郷へ赴き、約束通りエビの養殖に従事して大成功を収める。別に『フォレスト・ガンプ』が『幸福の旅路』にインスパイアされたとかそういうことではなく、おそらく当時のアメリカには、こんなふうに「生きて帰れたら一緒にこんな商売をしようぜ!」と、固い約束を交わした若者達がたくさんいたのだろう。
ところで、何故僕が公開前からこの映画を観たいと思っていたがというと、主役がヘンリー・ウィンクラーという役者だったからだ。この人は映画『アメリカン・グラフィティ』の元になったTVシリーズ『パッピー・デイズ』で、革ジャンにリーゼントのコミカルな不良役をやっていた。ちなにみに大まかなストーリー以外まったく覚えていなかったのだが、『幸福の旅路』には戦友の一人としてハリソン・フォードが出ているのだ。この人は『アメリカン・グラフィティ』でも、最後にポール・ル・マット演じるジョン・ミルナーとチキンレースを競う不良役で出演している。そして『パッピー・デイズ』でヘンリー・ウィンクラーが演じた役こそ、このジョン・ミルナーの原型なのだ。
そしてもうひとつ。『幸福の旅路』は主人公が、結婚を1週間前に控えてマリッジブルーな旅に出ようとしていた女の子と偶然知り合い、共に行動するようになる。これがサリー・フィールド。彼女はこの17年後、『フォレスト・ガンプ/一期一会』でフォレストの母親を演じることになる。
※『幸福の旅路』のキャスト、ストーリーに関しては、映画情報サイト
『Movie Walker』を参考にさせて頂きました。
※追記 訂正をひとつ。TVシリーズ『パッピー・デイズ』が映画『アメリカン・グラフィティ』の元になった──は間違いでした。制作年度は『アメリカン・グラフィティ』の方が1973年と前です。詳しくは明日の日記で書きます。