昨日に引き続きビンボーくさい日記ですんません。本日は昼間ダラダラと過ごしながら、公共料金他、各種支払いを銀行引き落としから、クレジット・カード払いへと代える手続きをした。僕がメインで使っているOMCカード(VISA)では、毎月の支払い限度額というものを設定することが出来る。例えば10万円と指定しておけば、それ以上の額は引き落とされない。もちろんその金額を超える支出があった場合にはリボルビング払いとなり、それなりの金利手数料は取られるワケだが、引き落とし日、口座に残高が残っているかどうかとやきもきする心配は無くなる。僕のように収入が不安定な職業の者(←ビンボー人とは書かない自主規制)にはありがたい機能である。
クレジット・カードで払える料金は驚くほど多い。電気、ガス、水道料金の一部、NKH受信料、携帯に固定電話、衛星放送から国民年金に至るまで。しかも支払いをまとめることによってポイントも溜まる。お得である。さらにその多くがインターネットのオンライン上で変更出来る。まことに便利。さて、今日の午後、朝日新聞の支払い変更をしているまさにその時、新聞屋のニイチャンが集金に来た。今日は日曜日。ニイチャンは僕が自由業だということを知らないから、必ずこうして休日に来てくれるのだ。少し、いやかなり胸が痛んだ。
新聞の集金というのは、配達とは別の収入になると聞いたことがある。つまり我が家一軒ぶんの集金が無くなると、彼の収入はそのぶん減るのではないか? このニイチャンは無口でサエない男だが実に良い人で、ふだん現金をほとんど持たない僕が、「ゴメン、銀行行ってなくて、今日金無いんだ」と言っても、嫌な顔ひとつせず「じゃ、また来ます」と帰って行く。ホントにイイ人。「コシヒカリ5キロ付けますから3ヶ月だけ取ってくださいよ〜」と厚顔無恥にのたまう、ヤクザな読売新聞とは大違いだ。
ところで、ニイチャン、ニイチャンと書いているが、それは51才の僕から見て、であり、実際はけっこう歳がいってるように見える。30代半ば、いや、若く見えるだけでひょっとすると40過ぎているかもしれない。かつては新聞少年という言葉があったが、今現在、配達や集金をしてるのはほとんどが中年だ。たぶん、若い子にとっては労働の割に実入りの少ない商売なのだろう。面白味も無いのかもしれない。何年か働くと辞めていく。そして30も半ばを過ぎ、資格等も無いし転職も難しいからと続けている人が多いのではないか。
今はこのニイチャンと交わした契約があるのでこうしてクレジット・カード払いで続けるが、それが終わればもう取るのはやめるだろう。ネット等で読むことになるか、紙の新聞をまた宅配してもらうにしても、購読料のもっと安い東京新聞とかにする。どちらにせよ朝日新聞は高すぎる。つまりですね、何が言いたいかというと、僕と朝日さんの関係は、この販売店の無口で気の良いニイチャンとの関係に支えられていたわけです。新聞というメディアにとって、こういうのって決して少なくないと思う。販売店のオジサン、配達や集金のニイチャンの努力によって成り立ってる。
逆に新聞を作ってる人、つまりは編集委員とか論説委員とかいう人達は、果たして彼らほど、「新聞を売る努力」をしているのかな? それでいて〈天声人語〉なんていう誰でも書けるようなつまらない文章書いているヤツが、配達のニイチャンの何十倍もの給料を貰ってる。60年代なら労働者による革命が起きただろう。