日曜日。朝起きて、「そうか、今日は『ゲゲゲの女房』お休みの日なんだよな」とまず思う。かなりの重症である(涙)。けれど世間的にもその傾向はあるようで、少し前、いつもこの日記を読んでお便りをくださるHさんから、「先日実家のある都内某市に帰ると、それまで〈新撰組・近藤勇のふるさと〉などとのぼりをはためかせていたのが、今は〈ゲゲゲ〉一色に染まっておりました」というメールを頂いた。また、「アナウンサーが泣いている」という都市伝説も再燃したようだ。
これは確か名作の呼び声高い07年放映の『ちりとてちん』で始まったものだと思う。午後の再放送、12時45分からの回が終わると1時よりお昼のニュースになる。その回のラストがあまりに感動的だったので、スタジオでスタンバイしていたアナウンサーはモニターで観ていたのだろう、画面が切り替わった時思わず泣いていた──と誰かが言い出したのだそうだ。ただし真相は、ニュースのスタジオに連ドラの画面がモニターされることは一切無く、単なる視聴者の思い込みとのこと。要は映画マニアなら知っている人も多いと思うが、エイゼンシュテインの〈モンタージュ理論〉だったらしい。
〈モンタージュ〉とは二つ以上のカットを使って、画面にまったく別の意味を持たせること。例えば同じ男性のアップを撮っておいて、片方には「美味しそうなステーキ」のカットを、もう片方に「女性のヌード」を入れて編集すると、前者は〈食欲〉を、後者は〈性欲〉を想起させるというもの。ちなみにセルゲイ・エイゼンシュテインはソ連の映画監督。戦前にそのモンタージュ理論を用いて名作『戦艦ポチョムキン』を撮る。
昼過ぎ、実家の母より「お花が届きました」と電話が来て、今日が母の日だったと知る。毎年のことだが、春先になると「お母さんにカーネーションを贈りましょう」というダイレクト・メールが来るので手配をし、しかし5月になってみるとそんなことは既にまったく覚えていないという親不孝ぶりである。そんなワケで忘れていたことを気づかれまいと慌てていたせいか、『ゲゲゲの女房』観てる? と聞きそびれた。水木しげる夫妻が結婚し、上京したのは昭和36年。大阪で高校教師をしていたウチの親父が役者になるため、家族揃って東京にやって来たのと同時期である。
我が家は正確には多摩川を挟んだ川崎市登戸というところにアパートを借り、そこが大家さんの事情で出て行かなければならなくなり、少し離れた菅という場所に移り住んだ。その多摩川対岸が、水木夫妻の暮らす調布になる。まだ橋がなく、渡し船があった。つげ義春の『無能の人』に登場するあの河原である。ちなみにつげ義春が水木しげるのアシスタントをしていたのは有名な話。苦労していた頃の漫画家さんが皆あの辺りに住んでいたというのは、やはり家賃が安かったのだろうか。我が家も同様であった。
『ゲゲゲの女房』では上京したての布美枝さんが、東京というイメージとはかけ離れた、あまりの田舎ぶり驚くという場面があった。花の東京というのは一部だけで、ほとんどの地域が不便で貧しかった。当時は地方の田舎と言われる地域の方が、よほど豊かだったのだ。ウチの母親も、嫁入り道具として持たせて貰った着物を、すべて質屋に流したらしい。